カーレンが消えて、二日か三日ほど経った。長くこの場所にいると、時間の感覚がよくわからなくなっていく。一応食を取るためハーツの家へ一度向かうものの、睡眠はここでとるし、覚醒している間はほとんどここで過ごしているから、そんな風に時の感じ方が鈍っても、仕方ないのかもしれない。

 雨の音が大分小さくなっていった。スピカが雨宿りしていた小屋は、屋根の他に柱と座る部分だけという簡素なもので、重なった黒雲が段々と薄くなり、天候が回復していくこともスピカにはわかるような造りだった。
 雨音はやがて無くなっていった。空は徐々に本来の姿を見せていく。茜色を出し始めた。スピカがいるのは西、太陽は彼の背後の方へ落ちていく。もっと時間が経てば、星が水平線から浮かんでくるだろうか。ぼんやりとそう思う。

 それこそ、死者の魂のように。
 息をつく。頭を深く下ろした。

 ずっとずっと、カーレンのことばかり、考えていた。頭の中、細胞の隅から隅まで彼女のことばかりだった。
(火の島なんて、和秦に比べたら遥かに小さい。人口も、たかが知れてる。あいつ以外にも――巫女の役割を担っている人はいるだろうし、そう、一日に何人も死ぬわけじゃない)
 膝に肘をつき頬杖を突きながら、また息をついた。
(それでも、あいつは死と向き合ってきた。何十人――いや何百人――)
 違う、とスピカは体勢を崩し首を振る。

 そんなのは意味がない。千の死を、万の別れを体験したところで、死に免疫がつくはずがない。ついてはいけない。絶対として永久に据えておかなくてはいけない。
 ましてや、今回の惨劇はカーレンに深く関わった死だ。しかも、誘導された結果だとしても、カーレン自ら招いた。自ら殺してしまった。悲しみも後悔も絶望も何もかもが、カーレンの全存在に叩きつけられてしまった。見た目よりも軽く、小さく、可憐でいて、それなのに何者よりもその絶対と向き合っていた強い経験を持っていたというのに。

 スピカは、海に目をやる。

(カーレン、お前そういえば言ってたよな)

 長椅子に腰かけたまま、スピカは海を注視した。やはり、以前のように無性に死を願うことはない。

 ――死んで、わんわん泣くこともすごく大切で、それを失くしたらいけなくって。

 カーレンの優しいかつての声が、心の耳を震わせた。

 ――けど、そこを乗り越えていく強さや、それを忘れない心とか、――新しい生や、ものの喜びを、考えて生きていくことが、実はすごく大切なことって思ってるんだ、私。

 あの時の穏やかな笑みを浮かべることは、もう無いのだろうか。
 もう一度スピカに見せてくれることも、無いのだろうか。

(そう、言ってたのに)

 左胸に、小さな針がちくりと刺さったような痛みを感じた。痛みは切なく体液に溶け、やがて涙腺へと辿り着く。

 ――死は超えられないし、生き続けなくちゃいけない。
 だったら、今言ったこと――私にとって大切なことを思って生きていれば、もう少し、悲しまなくて済むかもしれないなあって――

 言葉は優しく彼を包む。言葉ではなく、彼女自身がスピカを抱いているようだった。傍にいなくても、その存在は確かなものだった。

 だけど、生きているなら、この世界にいるなら、自分の傍にいて欲しい。

(そう言っていたのに)

 スピカの白い頬に、熱い涙が流れていく。すぐに冷やされるが、目の縁は確かに熱い。

(そう言って、僕を――僕を、連れ出したくせに。
 生かしたくせに)

 ちっと、品の良い外見のスピカからは少し意外な舌打ちが確かに出る。
「くそ……」
 涙は溢れていた。スピカは長い髪を乱暴に振り払い海に向かって咆哮した。

「お前一人だけで苦しみやがって!
 世界はお前とマーラだけじゃないんだぞ!」

 体が燃えるように熱くなっていると叫ぶ前から気付いていたが、どうすることも出来ないし、する必要もないだろう。
「僕や、オーレさんや、他のみんなや、お前の祖母さんや、島の人達、里見の人達、殿に、シリウスさんに、若に姫に――陽姫だっているんだ!」
 はあっと荒々しく息をつく。喉が焼けるように痛いが、空気を齧りつくように吸う。

「どれだけ、どれだけお前に救われたと思ってるんだ。
 お前の悲しみくらい、苦しみくらい、いくらでも背負ってやるよ――」

 そうすることしか出来ないから。だけど、それが、出来るからこそ。

 全てを放ったスピカは、項垂れる。海にではなく、今度は土に向かいぽつりと呟いた。天から突然降りてくる、慈愛の雨粒のように。

「――だから、だから、帰ってこいよ……」

 そして涙が落ちた。

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