カーレンは客室に独りになった。ただ前へ前へと進む時だけが、止まったままの彼女を包んでいた。そうして、一日か二日が過ぎていく。
扉の向こうにはニコとチルチルが壁に背を預けて座っていた。与一達は先日の騒動でぼろぼろになった京安修復作業の手伝いに出かけている。カーレンを落ち着かせるため渋々といった様相で彼等は出て行ったが、ニコとチルチルは時間が経った今でも、こうしてここを離れられない。
何を話すでもなく、幼い二人は沈黙していた。二人は眠る時と食事の時間だけ離れる。しかし、食事も睡眠も思うようにとれず、少し疲れた顔立ちをしていた。
ニコは隣の青の姫をちらりと見やる。いつも騒がしいくらいだというのに、目を伏せてすっかり沈んだ面持ちでいた。
カーレンに、自分を重ねているのだろう。
チルチルもかつて玉梓の怨霊――化身と向かい合ったことがある。そして過去に、長い年月をその化身と過ごしてきた。まるで親子のようだったという。笑いも喜びも楽しさも当然あった。何も知らない頃があった。
そんな過去に別れを告げたのは、つい最近のことだ。でも、彼女はカーレンと違う。とどめをささなかった。出来ないと、彼女は悲鳴を上げて泣いた。
泣いて、しかし意外にも早く立ち直った。まっすぐ事実と向き合い、悲しみを体に刻みつけたのだ。確かに悲しいことがあったのだと、そして嘆かわしいことにそこからすぐ出発しなければならないのだと、自分を押し出した。
――ニコはそこまで思って、改めてこの少女が強いということを認識した。本当なら、どれだけ時間が必要なのかわからない。ニコ自身が父母の死から立ち直れたのは、一体いつ頃なのだろう。
それともまだ、囚われているのだろうか。
「ニコくん」
急にチルチルに呼ばれて胸がどきりと鳴る。ニコは恥ずかしく思いながらも、彼女が声をかけられるほど回復出来て安心を感じた。
「どうしたの?」
「あのね」
なくならないの、と抑揚無く、ただぽつりとチルチルは呟いた。その様子に、何が? とやはり彼女を心配して、ニコは問う。
「過去。むかし。なくならないの。確かに、あるの」
段々と覇気のある声になっていく。真剣な表情をしたチルチルに、思わずまたニコはどきりとする。彼女はニコを見つめる。疲れているはずなのに、どこか清らかに澄んだ青い目にニコが映る。
「わたしと……奥様がいた過去も、笑ったりお話してた過去も、ニコくんのお父さんやお母さんとニコくんがいた過去も、ぜったいになくならないの」
ニコは目を何度も瞬かせた。
「もう過ぎてしまったことだから、取り戻すことは出来ないよ。
けれど、それと同じでだれにも奪えないの。確かにあったことだから」
だから――とチルチルは言葉を切り、顔を伏せていく。
「だから、カーレン姉さまとその人がいた過去も、おんなじなのよ。
誰もなかったことには出来ないの。それは、悲しいことかもしれないわ。でも――」
ニコは頷く。そしてチルチルの陽の光のような髪を撫でた。
「でも、それはきっと、同時に――生きる力にもなるんだよね」
チルチルはしばし、無言になる。そして、こくこくと何度も頷いた。きらきらした何かが床に散り、滲む。ニコもゆっくりと目を閉じる。わずかに、父母の顔が浮かんだ。
もう一度目を開けば消えるだろう。そして零れる涙に映るだろう。
誰かが近付いてくる足音がした。ニコが目を開くと、案の定涙が出た。
滲んだ視界に映るのは――シュリだった。