「カーレン姉さま?」
誰かの声が聞こえて、カーレンは闇の世界から独り転がり落ちた。夢だった。それも悪夢。現実に戻ってきたらしい。目を開ける。下睫毛の辺りが妙に熱く、耳に水気を感じるところからすると、涙を流したのだろうとカーレンは独り、いやに冷静に分析した。
自分を覗きこんでいるのは、チルチルだった。スピカと同じ、だが彼よりやや薄めの青い目が、すぐ手の届く距離ある。
「あれ……? チルちゃん……?」
「カーレン姉さん、起きたんですか? 気分は、どうです?」
右側からニコの声がして、顔もひょっこりと出てきた。カーレンは上体を起こす。簡素だが品の良い寝台に寝かされていた。暖かな素材で作られた羽織が、服の上に着せられている。
「ニコ君まで……ここ、どこ? 私――」
頭を抱え、何があったかカーレンは記憶の糸を手繰ろうとした時、部屋の扉が開いた。糸は無残にもぶつりと切れた。
「カーレン、やあっと起きたのか。よかったあ」
与一の声だった。どてらを着ている。ここはやはり寒いのだろう。カーレンの視界に見慣れた銀髪と緑の目が入り、彼の後ろにいる人々も映る。信乃と双助と、そしてシュリだ。
「一昨日の朝方、お屋敷の前でお姉さま、倒れていたのよ」
カーレンが呆然とした様子で口を開けたまま何も言えないでいると、チルチルが率先して沈黙を埋めた。死んでしまったのかと思ったわ、と涙ぐみそうにチルチルは答える。
「ここは華北――つい先日お世話になった、尭様のお屋敷です」
華北? とカーレンはニコを見返す。彼はやや目を丸くした。
「そ、そうです。あの時――プリンセスパレスに十二人が集まったのに、光が急に、爆発でもするみたいになったでしょう?
……気付いたら、ぼくとチルチルちゃんと、信乃兄さん、双助兄さん、与一兄さん、そしてシュリ姉さんはここにいたんです」
瞬きを繰り返し、カーレンはその時へ意識を飛ばす。
光が強くなって、気を失った。気付いた時、故郷の火の島の浜辺にいた。
「あとの六人は、どこ行っちまったのかって思ってたんだけど、別の場所に飛ばされたのか?」
「もしかしてお姉さま歩きでここまで?」
真っ青な空と、どこかへと続く道。
まるでずっと、そこに何十年も立っていたかのように、カーレンを待っていた。
誰が――? カーレンは自分に問いかける。徐々にその像が浮かび上がってきた。
まるでカーレンを攻め立てるような勢いで、鋭く。
「でも見つかったのが倒れたすぐ後みたいでよかったよね。長く寝込んだけど」
「雪降ってる中裸足で薄着だもんなあ。仕方ねえよ。カーレン、具合悪くないか?」
「あっ、お腹空いてませんか? 今お昼ご飯が終わったところんですけど……」
黒い長髪。病的に白い肌。カーレンにはない妖しい美しさ。妖しい笑み。女だ。
カーレンと同じ、血が自ら光るような、全てを貫く、赤い目。
「そうよお姉さま、ご飯にしま……」
「待って! ちょっと、静かに……」
意識の中で、女はどんどん赤い点で赤く赤く――やがて赤が薄れて黒々と染まっていく。
女はまだ嗤っている。
そしてカーレンをがばと抱きしめる。食らいつくように。
「シュリさん?」
「――静かに」
シュリは足音もなく進みだす。震える少女の傍まで来て、膝立ちして自分の胸元を曝け出した。
「カーレン」
虚ろな目で、カーレンはシュリの胸元を見る。赤い眼には、シュリの白い肌にくっきり浮かぶ黒いあざが映る。かつて自分のあざがあった場所。
そう――「あった」場所。
「鈍い痛みがして、気付いたら――あたしのあざがここにきて、元々あった場所のは綺麗に消えてたの。
あんた、何か心当たり――」
「やめて」
カーレンは咄嗟に叫ぶ。
赤い目の裏では――自分の腹に浮かんだ赤いあざを、海の中で確かにみた新鮮な過去が、カーレンを内から襲う、斬り込む、斬り刻む、斬り潰す。
赤い目から血のように涙が垂れる。
「カーレン、ちょっと……」
「殺したの」
涙で濡れる赤い目を、現実を見据えるように丸々と広げる。
「私がお姉ちゃんを殺したの!」
部屋にいる六人に、カーレンの悲鳴が轟いた。
「お姉ちゃんが玉梓でも、化身でも、そんなのっ、そんなの関係ない! 私が、私が殺した!
私が全部悪いの! ほんとなの!」
「カーレン、落ち着いてよ!」
ひどく身を固くしながらも叫ぶことを止めようとしないカーレンの肩に手を置くシュリ。しかしカーレンは乱暴にその手をはねのけた。
「ひとりにして」
その声は叫びに比べると驚くほど弱かった。弱いが故に、誰も寄せ付けない。誰もを、何もかもを拒絶し、カーレンは過去へ沈もうとした。