マーラは――カーレンに、いつもと変わらない笑みを浮かべて、受け入れる。
そして左胸を刺す。
何かを突き破る感触。ささやかな音。暖かな場所が、滲んでいく。
「あ……」
時が止まって、カーレンはただその感触だけを気持ち悪く体験し続けている気がした。
何度も、何度も繰り返して――静止画のように、止まっている。
自分が何をしたのか、まるでわかっていない。
「そう……」
マーラの言葉で、時計は動き出す。
「それでいいの」
退こうとするカーレンを逃がさないようにマーラは抱き締めた。
確かな暖かさが彼女を包んでくが、同時にマーラを突き刺す刃はますますマーラの体にのめり込んでいく。
あ、あ、とうわ言のようにカーレンは、顔面蒼白で呟く。
(ごめんね、プレセペ)
脳裏でマーラの声がした。否、マーラの声では、ないような気もする。
その声は、先日見た夢で聞いた声と、似ている。
(あなたを自由に出来なかった母を、許して)
懐中の真っ赤な珠が、かあっと熱くなった。共鳴するように。
そして、マーラは離れていく。
最後に、カーレンの赤の瞳に、彼女が映る。
泣いていた。だけど――笑っていた。
嘲笑でも、失笑でも、哄笑でもない、純粋な笑み。
母が子に向けるような、子が母に向けるような、無垢な笑み。
「あ……あ……」
砂浜に倒れていく。血の袋を直接刺した。深く刺した。
だから活きの良い赤い赤い血は通るべき道を間違えているというのに、威勢良く飛び出し、カーレンの刺青よりも赤く、カーレンの肌を点描していく。
赤く濡れていく。
「――カーレン」
スピカの声がしても、カーレンは血飛沫から決して身を逸らさない。
手は血に汚れた。顔も体のあちこちも、血に塗れた。鎖骨に、目をやる。
蟹座の紋章が消えている。
「え……?」
途端に、カーレンは走った。赤を取り込もうとしない、青い青い海へ、ただ走った。
何故かは、自分でもわからない。
ただ、逃げ出したかったのか――。
「待て、カーレン、待てってば!」
スピカが傷口を塞がずに同じように海へ走ってくるのを感じた。けれど、カーレンはただ走った。
腰より少し低いくらいの水位でカーレンは止まる。服をたくしあげる。
臍の上に、それは確かに赤く存在していた。
蟹の刃を表す、その記号は。
彼女と――マーラと出逢う前に、体が、戻った。
「……おねえ、ちゃ……」
過去のこと、現在のこと、全てが幻のように、霞んで見える。
――カーレンの記憶は、ここで途絶えた。
「カーレン……!」
海へ倒れていこうとするのを、スピカが抱きとめる。傷口が潮に痛い。しかしそんなことに構っていられない。
「カーレン、しっかりしろよ、おい! 目を開けよ! おい!」
何度彼女の名を叫んでも――赤の姫は深い悲しみに沈んで目を覚まさなかった。
――マーラを、殺してしまった。
ただそれだけのこと、たった一つの重大な罪が、カーレンに暗黒な一点を印す。
その点から放たれる黒い光が、カーレンの全生涯を貫いて、全てが絶望に帰するような不安となり、その小さな体に押し込まれていった。