拳が激突し、刀が光を閃かせた――かに見えた。

「な――」

 拳は空中に空振りし、刀は虚を斬った。ただ砂と風が舞うばかりである。
 マーラは嗤いもせず、怒っているのか、憎んでいるのか、冷めた目でカーレンを見たままで、太望と花火の攻撃など、最初から無かったように泰然としている。
 花火は振り返り女を睨んだ。太望も困惑の瞳を向けた。
「無駄よ」
 マーラの凍てついた声は、亜熱帯のこの島にひどく不似合いで――お前たちも凍らせてやろうかと――スピカ達に肉薄する。
 突然マーラの前の砂が盛り上がり、巨大な岩が姿を現した。そうと認識する前に岩は人の手の形になり――マーラに襲いかかる。しかし、攻撃が成功する前にマーラはぱっと姿を消し、ぱっとすぐまた別の場所に現れた。

「無駄と言っているでしょう白の姫」
「あ――」
 李白が、気味の悪い汗を流す。李白の「金」の力が、ばらばらと崩れる。

「ふん」
 忌々しげに花火は煙管の灰を捨て、再び刀を抜く。そして後ろから斬り込もうとするが――マーラは瞬時に振り返った。
 その赤い目が鈍く光っている。花火は目を見開いて動きを思わず止めた。
「無駄よッ!」
 マーラを中心に一陣の風が起き、砂は怒り狂ったかのように飛散する。それは一瞬のことで誰もが目を閉じてしまう。マーラが紫の光を放ちその光が刃となって、風より速く、太望を、花火を、李白を斬る。
「太望さん、花火さん、李白さんっ……」
 視界を取り戻したカーレンは男二人が血を流しているのを目撃する。後ろを向けば李白も着物が裂かれ、その白い肌に瑕が生々しくついている。表情も酷く、苦しそうだった。
「おばあちゃん、離れて……!」
「わかっているさ。……お前も、そのマーラから早くお離れ」
 そう言われて、カーレンはおずおず振り返る。何度見たかわからない、その赤い目を灯す美しくも残酷な顔を。
 マーラは嗤っていない。非情な顔で冷たく、カーレンを見つめる。カーレンは磔になったように、何も出来ない。
 逃げ出せない、傷ついた仲間を助けられない。そしてマーラを殺すことも出来ない。なのに足元の刃物は自分を誘っているかのように――不気味に光っている。

「ほら、カーレン」
 再び、女は嗤う。
「早く私を殺さないと――」

 マーラの手から紫の光が零れた。手をいっぱいに開くと光は球形となり、突風のように手から去ったと思えば、太望に、花火に、李白に衝突する。三人からそれぞれ苦痛にゆがむ声が飛び出して、カーレンをじくじく刺激した。

「大切な仲間を殺してしまうことになるわよ」

 彼女の苦しみに愉悦を感じるかのように、マーラはますます口を裂かし、嗤いを歪めていった。それでも、カーレンはただ立ち尽くした。呆然としていた。
 隣のスピカも何も出来ず、精々マーラを睨み、恐怖を噛みしめるばかりであった。歯痒い。焦燥が彼を駆け巡る。
「でき、ない……」
 カーレンは涙声だった。
「できるわけないよ……」
 そして、赤い目を囲む睫毛は濡れた。

「私が――お姉ちゃんを、殺すなんて! そんなことっ、出来ないよ!
 何で! 何でなのっ!」

 ただ悲痛に、残酷に、叫びは木霊する。
「――カーレン、さん……」
 太望は負傷した体のあちこちから痛みを感じながら、カーレンと青の姫・チルチルを重ねていた。
 少し前にも、同じようなことがあった。チルチルも泣き、カーレンも泣いている。しかし、マーラは――怨霊はその時のように、容易に消えはしない。
 ――太望は涙を見せる者を、最大限の慈しみを以て守りたいと思う男だった。その為なら、自分が傷ついたとしても何とも思わない、そんな情けとお人好しが上手く混じり合った男だった。彼は頭に巻いていた布を取り、止血に使う。そして――たとえ無駄でももう一度マーラと戦おうとした、その時である。

「殺しなさい、カーレン君」
 久しく黙っていた、オーレの声がした。

 誰もが耳を疑う発言をした彼の顔からは――表情が抜け切っている。

「このままじゃ、先に進めない」

 どうにもやりきれないように、死人のような顔のオーレは首を下げた。カーレンは彼をまるで幻やまやかしを見ているように、信じられないという表情をちっとも変化させず、ただ彼を見つめていた。スピカも、花火も李白も太望も、時間が止まったようにそんな表情一点張りだった。しかしオーレは、首を上げない。
「――オーレさん!」
 太望が堪らず声を上げ駆け寄り、彼の肩を揺さぶる。

「何てことを――たとえ玉梓の化身だとしても、カーレン君にとっては姉なんじゃ!
 殺させるなんて――可哀想じゃないか!」

 振り返り見たカーレンの顔は困惑の色に満ちていた。そんな顔をしないでくれと太望の心から、何かが込み上げてきた。
 カーレンの表情は、いつか――運命に呑まれた太望の妹が見せたそれと、同じだった。
 思い出したくもない、あの時のものだと、太望は泣きそうになる。

「――それを」

 オーレは呟いた。
 顔を上げた。
 男は、泣いていた。

「それを、君が言うのか」

 乱暴に太望の体を退けた。


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