「一気にとどめをつけてしまおう!」

 纏わりつかんとする畏怖を祓うように、オーレはばあっと持っていた札を床に落とした。札は赤く発光し、妙椿が操る黒い戦闘駒の動きを次々と止めていく。
「……おのれ」
 妙椿はオーレを睨む。
「さあ――信乃君、村雨丸で妙椿を!」
 オーレは身を伝う汗のような恐怖から目を逸らさず言う。
 言われずとも、もう信乃は駆け出していた。妙椿はぴくりとも動かずその水気滴る聖なる刃を、あっさりと、受け入れた。これには信乃の方が驚いたようで、え、と思わず彼は漏らしていた。

 そして、崩れていこうとするその時に、妙椿はオーレを見た。そして、嗤った。
 オーレは瞠目する。

 いつも玉梓の化身から感じる恐怖とは違う、もっともっと、オーレの身近にある恐怖が固く固く彼を縛っていく。
 十年前から、オーレを縛りつけて離さない、オーレ自身から生まれるものを、妙椿はずるずると引き出していく。
醜く、生臭い、おまけに血の腐臭もするそのモノを。

 ――本当はこれほどまでに大きかったその恐怖に、一度油断すれば、ひれ伏さざるを得ない。そして起き上がることは永遠に無い――

(そうか)

 オーレにだけ聞こえているのだろう。妙椿の声は揺らぎながら続く。
(お前も妾と同じなのだな。何と哀れで愚かな)
 何が同じなのか。オーレにはわからない。自分が今感じている恐怖が、妙椿のそれと同じだというのか。
(次は、お前の番だ)
 その言葉が死の宣告に近い。

(お前が最初にして最後だ)

 ばたんと音を豪快に立てて妙椿は崩れた。そしてその姿は煙のように、あるいは霧のように消えていった。
 やった、と信乃達の歓喜の声がする。花の姫は懐かしき友と愛しき人と抱き合い、手を取り合い、涙を流していた。

 ただ一人――獅子を心に宿すオーレは冷や汗を流していた。拭うことは、出来なかった。




    5
黄の章(上)第三話に続く
プリパレトップ
novel top

inserted by FC2 system