花依は何度目かの覚醒を感じた。

 寒い。華北程の寒さではないけれど、身をじわじわと襲う、吐き気すら催すような寒さが花依の皮膚の隅から隅へと這い、体力を奪い尽くしていく。
 瀧田城ではない、どこかの城――いや、どこかの小屋なのかもしれない場所に、もう自分は何日いるのだろうと、他人事のように思う。
 食は満足に与えられず、喉も渇いている。体力は先細り、体が一本の脆い、錆びついた針のようだった。霊媒体質である自分の衰えた体には何度も霊がとりついた。そのことは、痛いほどよくわかっている。その度に花依は殴られ、蹴られたからだ。
 ゆらりと、視界に人物が現れる。もう幾度となくその人物を見た。しかし何度会い見えようとも、その人物から発せられる恐怖という妖気は一向に薄まる様子を見せない。

 その赤い目から放たれる恐怖は、いつだって――

「また――目覚めたか」

 その恐怖の内に、いつもと違うものを感じる。花依は身を固めた。手首も足首も縛られていた。恐る恐る、赤い目を、しかししっかりと見つめる。
 自分を殺そうとする意志が花依には感じ取れた。人物の顔や形が、隙間から射し込む光で微かに浮かび上がる。女であった。
 水に濡れたような質量感を持つ長い黒髪に、不釣り合いな袈裟。病的に白い肌もやはり恐ろしい。

「――現れよ。この現世に、今一度姿を――」

 女は膝をつき、花依に――霊媒としての器に言う。花依は震えながら、もう一つの違うものを見つけた。
 女は口を開く。

「さあ――誰でも良い。
 春霖、天雅彦、光陰――」

 言葉は花依の琴線を震わせた。悲愴感以上に、慈しみに溢れた声だったのだ。
「軒竜、真珠、金風――」
 人名らしいが、誰だかわからない。呪文のように女は名を連ねていく。
「火梅、竹箕、垂氷、天塁、雷魚――」
 そして最後に、和名だらけのその連なりに異色である、欧名を告げる。

「……プレセペ」

 女は、その赤い目を閉じ、花依から離れた。心なしか、残念そうにそれは見える。
 花依はその悲愴な声が――もう一つの違うもの、殺気でも、殺意でもない、花依と何も関係ない、赤い目の女自身に由来する何か、うんと切ないものから生まれているのだと、そう思った。
 女は目を開ける。
「私の力は通じないか。太陽の眷族よ」
 花依はわからず、黙っていた。
 女は自嘲するように笑った。女のそんな表情を見るのは初めてだった。目を丸くしてしまう。




  3  
プリパレトップ
novel top

inserted by FC2 system