土の島に着き、火の島行きの連絡船に乗る。無言の二人に流れる時間は重く、暗く、遅い。カーレンは始終俯いていた。二人でいることに意味はあるのだろうか。そう思いさえもした。
 火の島へ着いた。港はカーレンの知っている通りの賑わいを見せていた。彼女の姿を見て巫女様お久しぶりですと島の人々は愛想良く、何気なく声をかける。しかしカーレンはいつも自然に浮かべていた微笑も返事も出来なかった。行き交う人々はそれを不思議そうに眺めるだけだ。
 スピカは勝手にどこかへ行ってしまう。

「スーちゃん」

 急いで後を追う。港に近い市場を通り抜ける。

「ちょっと、待っ、てよ」

 しかし店先をひやかす様子もなく、ただ彼は進んでいった。カーレンはこの明るい道で、それが闇の中の唯一の光であるかのように、ただ彼の背中を追いかけていった。
 手を繋げば、人波をかき分けて必死に追う必要などない。以前のように、手を繋げばいい。黒い紐が結ばれたスピカの左手首を掴めばいい。
 しかしもう、カーレンにそんな勇気はなかった。

(だって)

 その手を離されてしまったらどうすればいい?

(だって、だって)

 スピカが離れていってしまったら、どうすればいい?

 手を離されるのを恐れた。彼がどこかへ行くのに怯えた。
 スピカが絶望そのものに変わってしまうことが、その絶望に突き放されてしまうことが、カーレンには怖くてたまらない。
 恐れは、勇気を呑み込んでしまう。


 そして気付けば、二人は浜辺に出ていた。
 火葬の浜辺である。カーレンがマーラを殺め、そして逃げ出し――帰ってきた場所だ。
 そう遠くない昔、スピカが抱きしめてくれた場所だと、歩きながら思う。
 そして、二人が出逢った場所だと思うと、カーレンの足は止まってしまう。
 そう遠くない昔だ。だがどうしてだろう、生まれるよりももっともっと昔の、神の物語ですら霞んでしまうような、儚い時間にあった絵空事であったかのように思えた。
 スピカはまだ歩いている。彼に追いつきたい一心で、カーレンは恐怖に固まり、時間の鎖がかかった足に鞭打つように一歩一歩進む。
 何歩進んだ頃だろう。いつのまにかスピカは足を止めていた。カーレンは彼とようやく並ぶことが出来た。
 一緒に歩ける。そう思った時――スピカは突然体の向きを変えた。今来た道を戻らんとしている。

「それじゃあ、な……」

 この浜辺は、ひどく静かだった。互いの呼吸の音も鼓動もわかってしまうのではと思うくらい、静寂が場を支配していた。
 そんなちっぽけな別れの言葉でも、大きく激しく、聞く者の胸を打つ。それは果てしなく。場合によっては、命がもぎ取られてしまうように。
 スピカは、遠ざかっていく。
「……スーちゃん?」
 スピカは振り返らない。
「スーちゃん」
 砂浜にはスピカの足跡が物言わぬただのモノとして残されていた。波は穏やかで二人の元まで届かず、それは必然的に確かな距離を示すものとなった。

「スーちゃん!」

 二人は離れていく。いや、スピカだけが、離れていく。
 カーレンは込み上げるもの全てを放出せんと、叫ぶ。

「スーちゃん! スーちゃんっ!」

 想いも、未来も、希望も、恐怖も、悲哀も、全てに色づいた音色であろう。
 それでもスピカは振り返らない。

(いかないで)

 涙で視界が霞む。スピカの後ろ姿はしかし、そんな歪んだ世界の中で唯一の真理のようにはっきりと見えた。いつだって、どこでだって、スピカの姿をカーレンは胸の中に大切に持っていた。だから、見えるのだろう。

(スーちゃん……!)

 嗚咽が邪魔して、声が出せない。もう、想いは届かないのかもしれない。
 しかし、カーレンはもう一度口を開く。
 最後の力で、呼ぶ。
 愛しい彼の名前を。
 闇の中で輝く、たった一つの光のように。


 そう、あの星のような名前を。
 カーレンにとっての星である、彼の名を。


「スピカ!」




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