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 昔の話をしよう。二十年以上も前の話になるだろうか。

 和秦の北陸地方のある村に、一人の少年がいた。少年の父母は村で一番の支持を集める呪術師であり、その名声は村に留まることなく和秦、いや和秦だけでなく海外での評価も高かった。けれども父母はその名声に鼻を高くすることも無く、身の程をわきまえ、あくまで村の為に尽くしていたし、出来るだけこじんまりとした活動を是としていた。

 呪術師、などと言うといかにも禍々しく聞こえるが、こと少年の父母に関しては、その名称から想像されるような職業とは一線を画していた。内容が実に多岐に及んでいたのである。村の人間関係における厄介事の相談、ちょっとした占いから、失せもの探し物の捜索願い、果ては夕食時の献立についてまで――そんな極めて日常的なものが大半を占めると思いきや、村の存在どころか国の存在を揺るがしかねない大騒動に関してまで動いていたと言うのだから、少年の父母は実に計り知れない力を秘めていた。
 ともかくありとあらゆることを少年の家は引き受けていたし、村も頼りにしていた。言ってみれば、ていのいい何でも屋といったところであろう。父母は揃ってお人よし過ぎたのである。けれども少年はその志や二人が受ける名声を自らの誇りと信じて疑わなかったし、何より少年は両親が大好きだった。自分も父母のような呪術師になりたいと願ってやまなかった。少年らしい遊戯や友達と戯れることよりも、修業を積んで両親の仕事についていくことの方がずっと意味のあることのように思えた。
 両親としてはまだ力や仕事に縛られない少年の時期にのびのびと遊んで心を育んで欲しいというのが本音だったけれど――少年の潜在能力は目を見張るものであったし、将来的には両親二人を上回るものであることも早々に解っていた。何より、少年の左胸に浮かぶ、占星術で言うところの獅子宮の紋章と、生まれて程なくして母が手に入れた、同じく獅子宮の紋章、そして人道八行の礼の字が浮かぶ宝珠。それに両親は何かしら強い運命を感じずにはいられなかったし、少年の秘められた力がその運命故であるならば致し方あるまいと思っていた。
 そういうこともあって二人は少年の将来に期待したし、何より本人が望むなら――と、少年を連れて仕事をこなすことが度々あった。それは時には命の駆け引きにもなる仕事であると同時に、掛け替えのない、暖かい家族の時間でもあった。
 何事もなく時が過ぎ、少年はやがて父母を凌駕する呪術師として世界を股にかけることになるであろう。誰もがそう思った。








 ところが、異変が起きた。
 長年の恩人が窮地に立たされていると言うことを知った父母は長い間村を離れることになった。恩人のことだけでなく、村どころか国全体、つまりは和秦全体に不穏な空気が漂い始めていることに二人はおそらく――関係者以外では誰よりも早く気付いていた。そこで父母は長い長い旅に出ることになったのである。
 今度こそ本当に命がけになるかもしれない。
 そんな危険な旅に、最愛の息子を巻き込むことは出来ない。
 ――そして少年は、縁戚であるその村の村長宅に預けられることになったのである。両親はそのまま長い長い旅に出てしまった。

 必ず戻ってくる。

 少年に、そんな約束を交わして――。










 悲しいことにそれが少年の不幸の始まりであった。
 本当に親類であるのかどうかすら疑わしい程縁戚でしかない村長は、悲しいかな、村だけでなく国内外から絶大なる人気を集める父母のことを腹の底から妬んでいたし、また憎んでもいたのだ。ならば最初から少年を預かることなどすべきでなかったのに、少年という幼さが災いした。彼は村長の憂さを晴らせる唯一の玩具となった。これ以上ない格好の虐め相手となってしまったのだ。
 少年に対する仕打ちは見ていて余りあるものがあった。救いとしては、年の離れたその家の長兄が、その村長の血を引いているとは思えない程の誠実で思いやりのある人物であったことだろうか。何度も何度も父である村長を諌めたし、また少年のことも実の弟以上に良く接し、良く慰めた。少年も勿論長兄のことを良く思っていたし、一人っ子だったため、本当の兄のように思って良く懐いた。

 けれども少年の心は疲弊していった。そしてそれは留まるところを知らなかった。

 少年はやがて父母の愛までも疑うところまで堕ちてしまっていった。自分を愛していたように見えたが、あれは嘘だったのではないかと。自分を厭うからこそこのような仕打ちを与えているのだと。その証拠に――少年のもとに父母の便りは届かなかった。少年がどんなに力をその小さな体に秘めているとしても、遠く隔てた地にいる父母の愛を感じることは出来なかった。
 力などなくても簡単に出来るようなこと――例えば、空に浮かぶ星を見上げることさえも、出来なくなってしまった。





 けれども、そんな少年を救った人物がいる。
 それは、一人の少女だった。
 これといって特別な力も何もない、ただの幼い少女だった。





 その少女は村長の娘であった。長兄と同じく、彼女も本当にあの村長の娘なのかと疑わしいくらいに心が澄んでいて、聡明であり可憐でなお且つ楚々としており、そしてとびきりに美しい少女であった。
 少女は村長夫妻に愛されていた。蝶よ花よと愛でられているのは見て明らかであった。
 父母の愛を一身に受け何不自由なく暮らす少女は、少年の憎悪の対象ですらあっただろう。実際、彼は少女を嫌悪していたはずだ。あんな村長に愛されて育ったのだから、さぞかしその心根は醜いのだと、そう信じていた。
 けれども現実は違う。青は藍より出でて藍より青しという言葉があるが、黒いものから生まれるものが同じように黒くなるとは限らない。
 少女は素直だった。少女は優しかった。それ故に少女は少年に手を差し伸べずにはいられなかった。それは偽善でも何もない。真心というものだった。
 少年の疲弊した心が、少女の心に包まれてやがて、元に戻っていく。
 元通りになったかと思えば、それ以上に清廉としたものに、変化していく。



 やがて、少年は男になり、少女は女になる。
 そして――彼と彼女は結ばれる。



 彼は彼女を愛していた。誰よりも深く、誰よりも一途に彼女を想い続け、彼女に優しく柔らかく結びつけられていた。彼女もまた同様だった。誰よりも彼を愛していたし、そうなることが自然の理であるかのように受け入れていた。





 けれども。
 ああ、けれども。





 少年は、心のどこかに疲弊した心を、未だに残していた。
 それ故に、父母に恋い焦がれ続け――
 そして。


 彼女を、憎む心を――。




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