多分、北方の浜辺なのだろう。スピカはようやく足を休ませ、カーレンの姿を探す。
 いた。薄い黄色の髪と桃色の衣――そして次の瞬間スピカだけに、地上の何倍もの重力がかかったように感じる悪寒が走った。


 どこからだ? スピカはカーレンが会話している人物を、恐る恐る見つめた。


 女性だった。
 南国にそぐわない雪の肌と黒い長髪。
 背は高く、目はカーレンのそれよりも赤い――まるで、つぶされた目から迸る血のようで――



 こわい。



 気付くと、スピカは走り出しカーレンの手を掴んでその女性から離れた。スピカを流れる恐怖が速さを引き出したのだった。
「スーちゃん? どうしたの?」
 何も感じず、スピカの恐怖を――何故か汲み取れないカーレンはそう問う。
「あの人は私の――」
「カーレン。お前、何も――何も、感じないのか?」
「何が……? スーちゃんまで、お姉ちゃんに近づくなって言うの?」

 また彼女にしては珍しく、反撃する。

「違う!こわくないのか(・・・・・・・)って訊いてるんだ!」


 そう。こわい。
 あの火の海を創った、敵のように――


「私のことが怖いの?」


 スピカはとまる。気配を感じなかった。
 この女――カーレンの姉――が近づいてくる気配を。

「お姉ちゃん。こっちはお客様の」
「スピカ」
 とスピカは言い、そして弱弱しく、です、と結んだ。

「カーレンの姉――といっても、この子が勝手に姉と呼ぶだけで、
 血の繋がりはないんだけど――マーラですわ」

 妖しく笑い、マーラは頭を下げた。スピカはやはり恐怖の念をもてあまし、左右を見る。
 オーレがいた。
 オーレもスピカ同様――そしてスピカの見たことのない顔色をして、恐怖を味わっていた。

「私はこれで帰るわカーレン。仕事のついでに寄っただけだから。和秦で会えるといいわね」

 マーラはオーレを見、スピカを見、そしてカーレンを見てからその場を去った。
 カーレンは手を振って別れを惜しんでいるが――スピカは肺の全ての気ともいわんばかりの大きなため息をついて、はたりと浜に膝をついた。気も抜ける。正に脱力だ。
 だんだん呼吸が激しくなり、やがて落ち着く。


 あの日――つい最近もこうであったろうか。


「スーちゃん?」
 カーレンが心配して同じくしゃがみこむ。オーレも隣に立つ。
 放心しているので、しばらくスピカは何も言えなかった。
「……お姉ちゃん、なんで私が和秦に行くこと、知ってたんだろう」
「え?」
 オーレは、カーレンのその呟きを聞き逃すことは出来なかった。そうしているうちに、

「――ごめん。もう大丈夫だから」

 とスピカは立ち上がり、オーレに耳打ちした

「あの人――」
「要注意、なんだろうね。……再び遭遇する可能性は少ないけど」
 二人の恐怖は、必ず何かを示しているはずであろう。


 それはおそらく三十年前、陽姫と共に消えた盲目の女を示す。


「必ず、何かある。それに僕が気になるのはカーレン君だよ。何で、おびえないんだろう?何か――」


 オーレは言葉を続けることなく流し、帰ろう、と二人に呼びかけた。
 何かと準備――カーレンは巫女業をサーラに代行してもらうための簡単な儀式――があるため、また星をこの島で眺めることとなる。一方、シリウスはというと先に里見に帰り、スピカ達の入城を手伝うようで、夕暮れに和秦へ発つ。

「なあ――あの、マーラって人は、何者なんだ?」
「んー、小さい頃から仲良くしてくれるいい人だよ?
 でも、おばあちゃんは何回も近づくなって……」
 途端、不機嫌そうに眉を曲げた。

 カーレンは、巫女としてあれだけの仕事をし、鋭い感受性を持っているのに、やはりマーラに対しスピカやハーツの感じるものについては徹底的に鈍感であるようだった。不安を覚えたスピカは海を見、空を見、水平線を眺めた。
 蒼が彼の視界を満たす。雲が流れる。


 ――今はとにかく、和秦に戻ろう。


 スピカは思った。

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