船虫が――イーノーが消えてからしばらくが経った。チルチルの涙は止まり、彼女は腫れた目を手のひらや手の甲で何度もこする。
 誰かの涙が流れる時は常に、いつもは情なく人身を斬る様に流れる時間が、気まずそうに、不器用に相手を労わるように速度を遅くする。泣いている本人にはきっとわからないが、周りをそんな風に思わせる。空気もどこか、重たくなる――スピカは思った。
 チルチルは鼻水をすすって大きな息をついた。スピカの目にも誰の目にも、チルチルがこの場で一番、幼く見える。しかしその幼い子供が、泣くことが限りなくまだまだ許される時代であるというのに、強い表情で泣きやんだ。呆然としながらやってきたネフェレには、恥ずかしげに笑って見せている。
 それを強がりと言っては確かにそれまでだろう。しかし強がりを装うにも力がいる。悲しみから本当に訣別できる程、新しい日の出を迎えられる程の力は、それだけ聞けば些細なことだが、なかなか身につくものでもない。実行できるものでもない。それと並ぶ何かを要する。
(僕は?)
 スピカは突然、自分に問う。それは全く無意識で、別の人格が暗に問いかけてきたようにも感じた。
 スピカはまだ過去の呪縛から抜けていなければ、抜けるつもりもない。チルチルのようにああやって笑うことは――大人でも、子供でもない、境界に立っているような自分には出来ないだろう。スピカはあくまで投げやりに、そう思う。
(カーレンなら)
 その名前で呼び起こされた頭の映像に、スピカは心が震える気がした。
(カーレンなら僕に何て言うだろう)
 左手首の黒紐を見つめる。終始笑顔でいる、南国の陽気な天候を表現したような彼女が言いそうな言葉が――今のスピカにははっきりしないのだった。

「ん? 村長さん。どうしたんじゃあ」
 太望はまるで熊のようにどすどす動き、客を出迎えに行く。あの強風の中でさすがに村民達は皆村に帰ったようだが、どうやらプリクソス老は様子を見に引き返してきたようだ。
「おじーちゃん?」
 意外にもチルチルの声が真っ先に飛び出し、走り寄って行ったのも彼女が第一号だった。
「チルチル……。大きくなったの」
「すっごい久し振り! 何年振りだろうっ、病気とかしてない? ええっと、わたしは元気だよっ」
 翁の調子は完全にチルチルがかっさらってしまう。とてもさっきまで傷心でいたとは思えない。
「この変わり身の早さは、やっぱり子供だからなんだろうか……」
「元気があるのはいいことじゃんよ。万年具合悪そうなスーも見習えよ」
「そんなに血色悪く見えるんですか、僕」
 お前の肌白いんだもんよ、と与一はけろりと返す。与一の悪態もオーレと同じ要領で返せるようになってきたが、それを変にくすぐったく感じるのがスピカには不思議だった。
「おじいちゃん……こんなことになるなんて」
「ネフェレ……お前にも、苦労かけた」
 ネフェレは首を振る。弱弱しい日差しが段々と回復してゆき、揺れた彼女の髪に光も揺れる。
「大丈夫。それはいいの。でも――ごめんなさい。チルチルが大変な目に」
 顔を伏せる。チルチルはネフェレの腕をひっぱり、大丈夫だよっと元気よく言って見せ、二人にえへへと笑って見せた。家族のようだ、とスピカはあの三人の暖かさを懐かしく思う。
「それよりねっ、わたしはさ、この青い珠のこととかいろいろ聞きたいわ。
 おじーちゃんもネフェレも何か知ってるんでしょ? ニコくん達だって」
 スピカ達男衆は顔を見合わせる。彼女が青の姫である以上話さないわけにもいかないし、そもそもそれが目的であるのだ。

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