犬の鳴き声がする。チルチルは花に水をやるのを止めて耳を澄ましながら体を休めた。
イアソン公の三人の子息が、番犬か猟犬か判然としないが、犬を何匹も連れて来たと誰かが言っていた。
 三人の客人が訪れた時、チルチルは出迎えの役割に当たっておらず、晩餐会のテーブルに添える花を選んでいたところだったのだが、二階からでも貴公子達の光輝く容姿の美しさはチルチルの青い瞳に夢の如く映し出された。三人とも明らかにチルチルより年上だが、チルチルを優しく導いてくれる為には年長者の方がふさわしい。彼女の中の王子様像は確かな実像として三人を選んでいた。
「お嬢さん、私の専属庭師になってくれるかい? なーんて言われちゃったらどーしよどーしよー!」
 一人顔を赤らめ、うっとりしている右半身があるかと思えば左腕は興奮を覚まさぬようにぶんぶんと振り回されている。チルチルは同じ想いを違う方向で味わう自分自身を露にしているが、そんなことにまだ少女は関心を示さなかった。
「チルチル? いるの?」
 ぴたりと運動がやむ。イーノーの声だ。
「はい奥様っ」
 チルチルは服の乱れや汚れを落とす。そしてくるりと踊るようにイーノーの姿を見た。イーノーの後ろにいるのは紛れもなく三人の貴公子だった。チルチルは少し視線を落とし、顔を赤らめる。イーノーが三人を伴ってやってくることは予測がついていて、今まで花園にいたのはそのためであった。さっきの嬉しさの予感で騒ぐ自分のことは緊張で忘れてしまう。
「チルチル、ご挨拶を」
 イーノーは三人にチルチルの紹介と庭の説明でもしていたようだ。チルチルは少し前に出て深々とお辞儀をする。
「はじめまして、庭師のチルチルと申します」
 顔を上げると真ん中にいた貴公子がにっこり笑いはじめましてと返した。
「君のようないとけなくて可愛らしい女の子がここを管理しているなんて、驚きです」
 天使のようだ――チルチルが見上げた時、薄い日光が彼の美しい金の髪を撫でていったのがひどく神々しく見えた。彼らが白い服を着ている所為もあるだろう。
「花も秋の花だけじゃないね」
 左端の、少し幼い顔つきの貴公子は目を遠くへやったり、すぐ近くを見たりして感心しながら言う。チルチルは鼓動が大きくまた速くなり、上手に返事が出来ずにいる。
「春の花を違う季節に咲かせる技術が進んでいると聞くが、素晴らしい眺めだ」
 この三人の中では一番の年長者であろう右端の大柄な貴公子は、それでも目をきらきらさせて子供の様に庭を見つめている。彼はチルチルにふっと、太望と、そしてニコを思い出した。チルチルは気付かれないように左腕に目をやる。二人があざを見てもう数日が経つ。一体このあざは何なのだろうとチルチルは今更ながら思った。
「ではご案内しましょう」
 赤い目を細めてイーノーは歩き出し、急いでチルチルは隣に行こうと走る。そして旬の菊の花やコスモスの園、イーノーの目のように赤い彼岸花、チルチルの目のように青いリンドウ、四季のサイクルからそっと取り出してきた花々を見て歩いた。チルチルはニコと太望がもたらそうとする、――まだ、チルチル自身知らない――待ち受ける運命をひとまず忘れた。そして穏やかに過ごす。


 しばらく園内を案内していると、あどけない貴公子が道から外れ向こうの方を見ていたのにチルチルは気付いた。そして目を丸くする。彼は花の新芽を踏んでいるのだった。チルチルは叫びたい衝動を抑えてはらはらしながら彼を見つめた。すぐに彼はチルチルに気づき、しかし無情に踏みつけていた新芽のことにはちっとも気付かず一行のもとへと歩き出した。彼はチルチルの感じる危機感にも気付かず、横をすっと通り過ぎた。
 チルチルは置いてきぼりをくらったように呆然とその場に立ち尽くす。自分が新芽の場所がわかるようにしなかったのも悪かった。しかし、思わずニコの態度と比較してしまい、チルチルは光り輝く貴公子との意識の違いと、住む世界の違いをぼんやり感じ取った。

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