ひとさらいの賛歌


 ニコと太望、青の姫・チルチルのいる大陸にきて数週間、スピカと与一は未だニコ達と対面できておらず、ましてや青の姫の正体も知らずにいた。しかし足取りは確実にその三人が交差している点を目指し、二人はついにアルゴ村という小規模な、しかし三人に一番近い集落に辿り着く。
 二人の目に映った、アルゴ村という表示と、程好く昇った太陽の長閑な光と、かすかに聞こえる小鳥のさえずりは、疲れた二人を癒し始めた。しかし村の入り口にも、民家の周りにも、収獲が終わったらしい畑や果樹園の方にも人間がいない。村人の飼う犬に吠えられたり、日陰にいる猫が身を縮めながらうっとおしそうに二人を見たり、色褪せた木々の葉が、ぽつんと立ち尽くしている二人を笑うかのように風に揺れたりしているのだった。完全に村の主役は人間以外の生物となっていた。
 青い髪のスピカ、銀髪の与一は、肌と髪の色が和秦の人々と違うこの地ではそれほど浮いた存在にならなかったのだが、こうも人がいないと嫌でも二人の存在は浮き彫りになってしまう。
「どうしたんでしょうね」
「あのでっかい家に行ってみるか」
と与一は少し離れた場所にある、他の家よりは大きい、赤い屋根の家を顎で示した。おそらく村長や地主といったような権力者の家だろうが、それを考えたスピカは、権力という言葉がこの長閑な村に不釣り合いなのを感じた。やけにまざまざとスピカに迫る。
 赤い屋根の家に、生垣はあった。しかし鉄の牢屋のような門はなかったので、二人には玄関の茶色い扉が見えていた。与一は少し横に逸れて窓を覗いた。
「中が見えねえ……布がかけてある」
 スピカも確認してみると、重たい帳らしき布が屋敷内部の情報をしっかり守っていた。中はこの所為で暗いだろう。スピカは次に庭を確認してみる。それなりに広い庭には子供が遊んでいるわけでもなく、枯葉が風にカサカサ音を立てて転がっているだけであった。
 こんこんとスピカが扉を叩く。しかし応答がない。あたりまえだろう、これだけ人の気配がないのだから。そう思いながら与一と顔を合わせる。与一も狐に顔をつままれたような表情でスピカを見ていた。そして、与一が扉を叩いてみた。
 声が、した。
「雲は」
 二人も、思わず声を上げるが、そこまで大きな声ではなかった。二人は黙ってしまうが、もう一度同じ内容が扉の向こうから、少しくぐもって届いた。どうやら自分たちに何かを問うているらしい。与一はにこやかに
「白」
と答えた。スピカは少し間があったものの、すんなり答えた与一をしかめっつらで見てしまう。与一は微笑した。
「だって、雲は白色じゃん?」
 スピカは当たり前のことを、空を仰いで確認した。空に浮かぶ雲は、どこまでも白い。
「林檎は?」
 続いてそう問われたので、与一と同じ要領で赤と答えた。その時、カーレンのあどけない笑顔が浮かんだ。思わず振り向いても誰もいない。スピカは自分の心の世界の変化に、静かに、動揺した。
 扉が開く音が立つ。よかった、人がいた――本来ならば問われた瞬間に思うべきことをようやく思ったその時、二人のすぐ傍を風が巻きあがったかのように人が駆けた。そしてスピカと与一を数名の男性が囲む。スピカは無人の状況からの急激な変化に警戒するよりもむしろ混乱した。表情で冷静を装っているつもりではある。しかし、スピカを囲んでいるのが、李白邸で盗賊に襲われた時とは違い、壮年、老年、そして少年と年代にばらつきがあり、スピカや与一くらいの年代の男性がいないことを疑問に思っている。
 おそらく村人だろう。異邦人の二人をひどく睨んでいる。他の集落ではこんなことはなかった。
「なんだなんだ? 喧嘩でもしよーってのかい?」
「ちょっと与一さん。今そんなこと言ってる場合じゃあ」
 わかってるよと与一は笑う。しかし言葉の声色はどう聞いても喧嘩上等と言わんばかりの楽しさが滲んだものだったのでスピカは呆れる。その時円陣を割って一人の老人が入ってきた。背はスピカより低いが腰は曲がっておらず背筋はしゃんとしていて、そのかわりに白髪や皺が目立つ。
「旅の人ですかな」
 二人は頷く。この村ではいつもこうして異人を迎えているのだろうか。そんなわけない、あまりに馬鹿馬鹿しいとスピカは自嘲した。
「わ――いえ、遠い所から、人探しです」
 まだ村人たちからじろじろと見られている。和秦はこの土地からそう簡単に行ける国ではなく、黒髪の人種の地域なので、二人がはっきり和秦から来たと言えばますます怪しく見られてしまう。スピカは、和秦で太望と出会うまでよく生きていけたなと思う。
「じいさん、でっかーくて色黒で黒髪の奴と、ちっこーくて金髪の坊主、ここに来なかったか?」
 老人は申し訳なさそうに首を振る。
「そっか」
「すまない。しかし、混乱させて悪かった。実は、今この村で、ある事件が起こってるもんでの――」
 彼はちらと与一を見る。
「この方は見た目からも強そうじゃし、事件解決にぜひ協力していただきたいものだ」
「ん? 困りごとなら相談に乗りますぜ。あと、この兄さんも綺麗な顔して強い奴だし、仲間に入れてくんな」
と与一はスピカと腕を組む。昔のことを思い出し少し疎外感を感じていたので、スピカはこの触れ合いがありがたかったが、少しこそばゆい気もした。老人はスピカを男と思っていなかったようで、それは周りの人々も同様らしく、それぞれが驚きを表している。瞳の内から、危険を排除してやろうという色が消えつつあって、それでもひそひそと隠し事のように話しているのが、スピカにとっては複雑だった。

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