「しかしなんでこんな所におるんじゃろう」
「――玉梓の、分身なのかもしれないよ。伯父さん」
 太望がその時見た甥の横顔は、自分を心配し、少々うろたえていた優しさを主に表してはおらず、物事を冷静に見つめ判断を為そうとする理知が全面に出たものだった。
 ニコの勘は鋭い。確か、ニコは玉梓の呪いの原因にも一人目を向け、正確な解答にはたどり着けなかったものの、真摯に思っていたことを太望は記憶している。答えは、オーレだけは知っていた。ニコはその方面にたどり着けはしなかったが手探りで向かっていた。太望は何も考えず、呪いが向けられた数々の命に慈悲を生んでいた。
「玉梓の、分身?」
「うん。――何の証拠もないけど、でも」
 二人は何も言わなかった。かわりに恐怖が騒いだ。魂がざわめいている気もした。陽姫から弾けた魂が、ただ赤い目と妖しい微笑の女主人に震えた。

(チルチルちゃんが仕えてる人が、玉梓――だなんて、本当は思いたくないけど)
 ニコはチルチルの後ろ姿を見た。その時、ほっと心地よさを得て、恐怖を威嚇し刺々しくなっていた体の芯が柔らかく変化していくのを知る。彼女の後ろ姿から会話を楽しんでいるのがわかった。彼女が好いている人物を自分たちの敵である怨霊と見なしてしまうのは、正直良い気分ではなかった。
 赤い目の主人はようやく去って行った。最後に見た彼女の横顔は花の芳香のようでいて、どこか深い霧のように重い、怪しい微笑を施した顔であった。
 チルチルが伸びをしている所にこそこそと二人が進む。
「チルチルちゃん」
「きゃっ!」
 チルチルの体がびくりと震えた。ニコが驚かせて悪かったなと思った矢先である。チルチルの平手打ちが見事ニコの左頬に命中したのであった。
「ニコ!」
「あら?」
 チルチルの間抜けな声でニコは頬を擦りながらも笑うことが出来た。
「ニコくん! ご、ごめんね? 痛かった?」
「ううん平気平気」
 よかった、と苦笑している少女の倍以上年をとっている太望は、口より先に手が動く彼女の活力と、ニコをも飲み込む少女特有の速さに舌を巻いて、しばらく呆然としていた。
「泥棒と思っちゃって。でも泥棒は声をかけないわね。まったくわたしってば」
 この赤く染まる頬の愛らしさは、ニコや陽星、礼蓮といった少年にはない。チルチルは少女だ。
「表から入ってきてもいいのに」
「そうしたいところだけど――チルチルちゃん、左の腕、よく見せて!」
 髪をかき上げたチルチルの腕をニコは見逃さなかった。今度は強引に引っ張らずに彼女を待つ。訝しげに首を傾げながらチルチルは左腕を見せた。
「おじさん! これ!」
「あら、ニコくんのおじさまだったのね。はじめまして、メーテルリンク家庭師兼召使いのチルチルです――二人とも黙っちゃってどうしたの?」
 太望は名乗る余裕もないほど心が高鳴っているのだろう。自分の目に狂いはなかったとニコは息をつく。
 少女の華奢な白い腕に浮かぶのは、野に群れる羊の角。青い角。
「おひつじ座!」
 息を飲んで青の姫であるチルチルを見つめた。チルチルはきょとんとして青い目をぱちぱちさせている。

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