翌日、ニコは再び、メーテルリンク家の大きく、高く、静かにそびえる生垣を見ていた。今日は太望も一緒にいた。
「本当なら入口から入りたいけど、入れさしてくれんだろうなあ」
 太望はのんびりと生垣、そしてそこからのびのび枝を伸ばす木々を眺める。
「うん。だから昨日みたいに飛び移ろうと思ってる」
 ということでニコは昨日と同じ要領で庭に忍び込む。今度ニコが掴んだ枝は細かったため間をおかずにすとんと飛び込んだ。そして足元を確認する。足元は踏んでも大丈夫そうな生命力に溢れた四つ葉の緑が広がり、ニコを庭へと誘っていた。
 太望は愛用の釣り糸と釣針でひゅっと木の幹を縛り大道芸のように忍び込んできた。すぐに太望は糸を外したが、ニコはこの様子をチルチルが見たら、木を傷つけないでと、ニコにはないみずみずしい活力で素直に怒るだろうと苦笑する。ニコは木の幹を撫でた。太望もすまんなと言いながら撫でていた。葉が、風で鳴る。
 ニコは庭へ案内する。チルチルはいるだろうか。
「足元、気をつけてね」
「うむ」
 しばらくニコはうつむいて歩く。一つ一つ足跡が見える。土は健康的な茶色をしていた。土もチルチルが管理者なのだろうか。もうすぐ庭につくか、とふいに顔をあげる。
 チルチルの後ろ姿が見える。今日はしゃがんでいない。顔を少し上げて誰かと話している。声は聞こえないがチルチルは身ぶりが大きく、それから察するところ嬉しそうに話しているようだった。
 相手は、女性だった。
 夜会巻きの黒髪と赤いドレス、ちらりと見える、赤い目。
 ニコは足を止めた。本当に突然だった。まるで吊ったように――全身を貫く糸がぴんと張ったように。そしてその糸がある感触を通す道となる。
 全身を、ぞくりとさせる怖さ。
 太望もそう感じたようでニコを掴んで近くの繁みに隠れた。チルチルが誰かと話している所為というより、その女性から襲いかかってくる黒く光る恐怖のせいだろう。
「あの人は――」
「? おじさん?」
 太望は何かを堪えるように、顔を歪ませて目を半分伏せる。何かぶつぶつ呟いたようだがニコには聞こえない。
「おじさん、知ってる人?」
「ああ。そうじゃ」
 何でここに、と太望は大柄な自分を更に隠すために後退する。ニコは彼と、そして気付かれないように赤い目の女性とを交互に見る。
「あの人とは和秦で会ったんじゃ」
「和秦で?」
 確かに何でここに、とニコも思う。和秦とこの大陸は、そうそう簡単に行き来できるものではない。里見はニコと太望をここに派遣するのに大分苦労しているはずだろう。それを申し訳なく思いながらもニコはチルチルの言葉を思い出す。奥様は和秦に、という何気ない言葉だ。
 女性はこの家の女主人なのだろう。とニコは恐る恐る彼女に向ける。
「あの人の名前は――船虫という」
 ニコが初めて聞く名だった。
「わしがスピカさんに出会う前、少し里見の地を離れとった時にの、会ったんじゃ。彼女は旅人を騙しては金目のものを盗んだり暴力を振るったりしておった毒婦――だったらしい。まあ、初めて会った時はそんな風にはもちろん見えんかった」
 ニコにそう伝えながら太望は自分の過去を振り返る。静かに目を閉じればその部分はやけに光を放って太望のまぶたの裏に浮かんでくる。

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