穏やかな晩秋の陽気が、今日も瀧田城を包んだ。のんびりした空が、運命に逼迫されて動かざるを得なかった者たちの上を覆っている。空はどこまでも青い。雲を探すのが難しいくらいである。
「心地よいですわね」
 城からやや離れた庭を、城主・陽仁や若君の陽星と共に、李白達が歩いている。しかし庭にしては広すぎるし、空間を彩り、見る者の精神を和ませる植物が少なすぎることにスピカは疑問を抱いた。
「しかし京に比べて落ち着きがないだろう。この国には武官が多い」
 陽仁が言うように、貴人が華やかな雅を奏す京や、町人が元気に全てを動かす近江・堺に比べて関東地方は治安が悪く、当然血の気も多い人間もたくさんいるのである。その中でも里見家のある安房地方は大人しい方に入るが、毎日武道場からはもののふの猛きおたけびが聞こえてくるのが当たり前である。
「そんなことはございません」
 李白は陽仁の目を凛々しく見つめた。
「空気がこんなに穏やかで澄んでますもの。安房には安房の素晴らしさがあり、そして治める殿には京の何もかもに勝る輝きがございます」
 きっぱりと李白は言った。――京の政治の腐敗を感じ取った李白には、小国ながら仁政を敷いている陽仁が京では得られない、幾万もの宝に見えていた。
「私も父上を見習って、善き主になりたいと思っておる!」
 陽仁の返事を遮って陽星は李白の前に躍り出た。そして李白をまじまじと見上げる。カーレンと同じように、白の姫から彼が感じ取れる暖かさや独特の気品は、すべての始まりである太陽の姫に直接起因しているようだった。とりわけ品の良さとあてなるものが纏う威厳は、李白より位の高い陽星を緊張させた。年の差の所為もあるだろう。
「はい。期待しております」
 李白は自然に笑みがこぼれた。
「さて、私は仕事があるから城に戻るが、あとはシリウス、オーレ、説明を頼む」
「私もこれから勉強があるのだ」
 寂しい、と小さき主・陽星はそこに集う者に上目遣いで伝えるが、父とシリウスに促されて、とぼとぼと城へ帰っていく。夜遅くに里見に到着した一行の出迎えが出来なかったことを、陽星は一途に悔しがっているようで、なおさら名残惜しそうだった。その可愛らしさにカーレンと李白は共に微笑している。
 その場にはシリウスとオーレが先頭に立ち、李白に花火、与一、そしてスピカと赤の姫カーレンが並んで後ろに残った。カーレンはさらにその後ろを仰ぎ見ている。一つの東屋にしては大きい、円柱型の石造りの建物があり、彼女の赤い眼球はそれを不思議そうに眺めていた。その建物に関してはスピカも気になっていた。扉があり窓があり、そしてそれなりに広そうだ。人一人は余裕で住めそうだなとスピカは思う。
 庭にしては広すぎてしかし、何もなさ過ぎて、そしてぽつんと建つ石の部屋。よく見れば、前方にも同じ建物が見える。
「それじゃあ、若も殿もお帰りになられたということで、話しながら進もう」
 オーレはそれから花火と与一に目をやると、二人は頷いて後ろに下がった。二人の無言を疑問に思い、スピカはカーレンと共にオーレの隣に来る。
「話って何です?」
 李白も静かに傍に寄ってきた。
「殿や若がいると喋れないことなんですか」
「別に色っぽい話じゃないよ、君の期待するような」
 オーレが茶化したのでスピカは顔を真っ赤にして静かに怒りを示した。
「スーちゃんてば、何考えてたの?」
「お前まで……何も考えてるわけないだろ」
カーレンはころころ笑った。その瞳の端にシリウスの老いた顔が見えた。重く、沈んだ顔がたとえ末端でもはっきりと見えた。そしてカーレンはここに喜怒哀楽がある不思議を思った。カーレンには、シリウスが透明な空気の中に、無理にでも何かを据え付けてそうした顔つきをしていることを感じた。その何かが、カーレンにはもう少しでわかりそうでわからず、結局胸の内にむなしさを抱える結果となった。
 前方に見えていた、もう一つの建物が前に出た。昼の太陽がすぐ見える。ここは南の方角らしい。
 太陽の下に広大な野原がある。しかしただの野原ではなかった。ある部分だけが焼け焦げて、青い空に向かって茶褐色を晒している。何も生えていない死の土がある。
 カーレンは、それをじっと見つめた。瞬きをするまでの一瞬間にカーレンの網膜を突き破って、脳天に突き刺さるような激しい何かを感じて、一歩引き下がった。
「カーレン?」
 スピカが勢い余って倒れそうになったカーレンの肩を支えることで、転倒を防ぐ。その時のそれは、風がすり抜けるようにそっと肩に触れただけだったのに、スピカはその何気ない事実に気づき、顔を赤らめて手を放す。
「お話とのことですが」
 李白は二人の一連の行動に気付かずオーレに話しかける。スピカが見るところ、オーレもそのちょっとした仕草を見ていなかったようである。
「その……お恥ずかしいことに、わたくし皆様と同じ運命上におりますのに、肝心の玉梓という怨霊のことをよくわかっておりません。……もしよろしければ、玉梓のお話を伺いたいですわ」
 スピカに支えられてから立ち場所が変わっていないカーレンも、
「私も、実のところよくわかんないや」
と言った。いつもの通りの声色であった。カーレンが感じた、先程の火の槍が貫くような感覚は本当に一瞬だけのようであった。そのため周囲は何があったかわからない。
「うん。じゃあ、よく聞いててね」
とオーレは、その建物と焼け野原の間に数個点在している、座るのに丁度いい、これもまた円柱型の石に腰かけた。何を話すのだろう、スピカは流し目で彼を見た。そして視点を与一と花火に向けると、花火は煙管から白い煙を出し与一と共に焦土を見つめていた。
「この建物はね、『十二宮』って言われているんだ」
 オーレが件の建築物を指さすと、その場にいた全員がその壁や形を目に映す。カーレンはその扉に、自分の鎖骨辺りに浮かんでいる紋章と同じものを見つけ、思わず声を上げてしまう。
「十二宮ってことは、十二星座」
 スピカはカーレンを見、扉を見、そして横顔のオーレに話を振ろうとする。
「じゃあこの建物は蟹座、ですか?」
「うん。そうだよ。そしてその建物とここら辺――隣の双児宮と獅子宮までの敷地は、カーレン君、全部君のものなんだ」
 カーレンはきょとんとして自分を指さす。
「扉を開けてごらん」
と言われたので恐る恐る扉を開けてみる。スピカが中を覗き込むと、憶測通り、人が一人住むくらいには十二分の広さ――一人どころか、仕切りは無いが三人くらいの小家族がすっぽり住めてしまいそうな広さがあった。窓が北、西、そして東の方向に一つずつきちんと存在し、開かれるのをひっそり待っているようだ。
「広いー。でもまだ何もない。からっぽ」
「家財道具とかは作ったり城から借りたりして埋めれそうだな」
「スピカ君には処女宮、李白さんには天秤宮がこの先にある。僕や花火君や与一君はもう獅子宮、天蠍宮、人馬宮があたってるよ」
「昨日オーレさん城で寝てませんでしたよね。もしかして」
 オーレは西の方向を指さした。
「お察しの通り僕は獅子宮で寝てたよ。一家三人で住むのはちょっと狭いけど、一応雛衣や礼連もあそこで休むことがあるみたいね」
 ふうんとスピカは前方に見えている獅子宮をじっと見る。雛衣は城で働いているため、また礼連は陽星の乳兄弟のため、多くの家臣がそうしているように城を居住空間にしているのだった。
「玉梓はね」
 急にオーレは話の矛先を変えた。その怨霊の名を、たとえ城の外れであるここで口にするのもスピカには気味悪く感じた。しかしカーレンも李白も、そしてスピカも静かに耳を澄ます。実はスピカも、里見に来てからすぐに火の島へ旅立ったので、玉梓のことは単に怨霊としか教えられておらず、姫二人と同じくよくは知らないのだった。
「梓巫女だったんだよ」
 アズサミコ? と姫二人は首をかしげる。

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