「シュリさーん」
 最初に声を聞いたのに、姿を見つけられなかった双助がどこからかやってきた。後ろには玲婆がいる。
「もう大丈夫ですか」
「う、うん。……玲婆? どうしたの?」
 玲婆は皺だらけの顔をとびきりの笑顔にして双助の隣にいた。
「聞いとくれよシュリ。こりゃ本当に運命の巡り合わせじゃ」
「なに?」
「私が和秦にいた頃、お仕えしておった家の坊ちゃま、双之助坊ちゃまと巡り合えたんじゃよ」
 おれのことです、と双助も破顔していた。シュリはにこにこ笑顔の二人を前にして、どういう顔をすればいいか迷い、ついに小さく笑ってしまった。
「――双助君て、いいとこの坊ちゃんなのか下人だったのか、全然よくわかんないわね」
 複雑な事情がありまして、と双助はきまりの悪い顔をして首を掻く。
 まったく、とシュリは随分安らかな気持ちで苦笑した。

 その複雑な理由を、シュリは果たしてきちんと知ることが出来るのだろうか。
 のんびりとした、平和な時に、彼の口から聞けるのだろうか――。
 いつの間にか、そんなささやかな願いを抱くことに抵抗が無くなっていた。
 シュリはその願いが叶う地へ行きたいと、ようやく初めて、心から思った。

 それでも――後ろを向けば尭や舜達が、華北の人々がいる。
 シュリが守りたいと思う人々がいる。一緒に生きていきたい家族がいる。捨てられた存在であったシュリの、確かな故郷がそこにはあった。

「おー、シュリお嬢さん、起きたか」
「寒いから、何かはおっておけばどうじゃ」
 銀髪の男・与一と、色黒の大男・太望が前方から向かってくる。太望はそんなことを言っているが、その言葉が似合わない程、二人とも思い切り薄着であった。ふらりと二人に続いて煙管を咥えた花火がやってくる。信乃も小走りで花火の横へ行き、そのまま花火と口喧嘩めいたことをしていた。花火が彼をからかっているのだろう。
 後ろを見ると、何か考えている顔をしたスピカと、それからチルチルと何か喋りながらニコがやってくる。カーレンが走ってスピカの隣にきて何の躊躇もなく手を繋ぎ、李白はゆっくりこちらへ来る。

 十二人が、ここに集う。
 シュリを待っていた人々だ。

「――尭様」
 シュリは尭の元に行き、呟いた。
「あたしは――あたしはこの華北で生まれて、みんなと一緒に育って、傷ついて、別れて、出会って、また別れて、傷ついて――」
 言葉は湿度を帯び、途切れがちになる。
「尭様と、みんなのために華北で生きて、ここで死ななくちゃって――
 今もそう思っているはずなのに、はず、なのに……」
 ぼろぼろとい涙が綺麗な球体となって、地に流れていく。
 シュリは感じた。ここに集った、双助達との繋がりを。運命と人は言うだろうか。心が逸る。

「――この十一人と、一緒について行きたくて……。
 でも、それは、華北を捨てることになるんじゃないかって……!
 あたしは、そんな、運命なんて知らないのに、だけど」

 順接と逆接を、否定と肯定を繰り返しながらシュリは泣く。
「シュリ」
 涙を拭うこともしないシュリの頭を、尭は優しく撫で、彼女の濡れた目と自らの老いた目を合わせた。
「いつでも、遠慮せず、還ってくればいい。
 お前の行くべき所へ、花依のいる、待っている人がいる場所へ、行きなさい」
 右隣には双助が、左隣には舜がいた。
「私達は華北の人々の幸せも願うが、シュリ、お前の幸せも勿論願っている。
 シュリの思うままにすることがすなわち、シュリの一番の幸せだ」
 それに、と尭は続ける。

「二つも帰ることが出来る場所があることは、とても稀なことで、素晴らしいことだよ」
「……尭様」
「え?」

 思わず双助が声を零す。それは彼が、ごく最近どこかで耳にした言葉であったが、双助が詳細を思い出す前に――シュリが双助の手を取って、ありがとうございます――と呟いて、双助の胸を借り、静かに泣き崩れた。
 双助は顔を赤らめながら彼女の肩を抱いて、そして微笑した。


 遠い約束が、今静かに果たされた。涙は、その証だった。


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