シュリはその後、双助に担がれて出入り口へと続く大部屋に入った。ひどく負傷した体だが、双助の背に負われているのがもどかしく、照れと、それに似ていて非なる胸のくすぐりを感じた。
「も、もう大丈夫だから、放して」
「いけませんよ、こんなにふらふらなのに」
 何とか双助の背の上から離れようと小ぶりに暴れる。いたた、と苦笑しつつ双助はいったん、シュリを下した。
「――あたし、行かなくちゃ」
 双助が来たところで、シュリの、人々を助けようとする気持ちが消え失せるわけではない。
「そうですね。早く、街のみなさんを助けないと」
 双助は手短に現在の京安市街の状況を説明する。長屋の放火、貴族街の放火、平民街への、大砲の発砲、そして見えざる革命の旗を掲げ、動きだした尭達のこと――それらを聞いている内に、シュリは体の調子がだいぶ元に戻っていることに気付く。
「もしかしたら、オーレさん達はもう外に出てしまっているかもしれませんね。
 早く脱出して、里見に行きましょう。花依様も待ってますよ!」
「花依――」
 そう、花依は故郷へ――生誕の地へ還った。遥か遠くに離れた、妹分のことを思う。
 まぶたの裏側で彼女は春の風のように穏やかに笑っていて、シュリもまたそこに行きたいと、純粋に願う。
 しかし、自分は華北の為に生きて死ぬべきと、何度心に刻んだか知れない。
 それに、とシュリは下唇を柔らかく噛んだ。
「あたし、双助君が持ってたような珠、持ってないわ」
 あざはいいとして、珠の存在――決め手に欠ける理由があった。
「案外、近くにあるものですよ」
 双助は和やかな笑みを浮かべた。この動乱の中で、唯一安心できる場所のように見える。
「自分が知らないだけで持ってるっていう話もありますし。たとえば、お守り袋の中とか。
 与一さんや太望さんはそういったものの中にずっと持ってたって」
「お守り――あ!」
 シュリの中で何かが弾けた。
 何で、今まで気付かなかったのだろう。考えてみればあっけない所に心当たりがあった。
 黒い、手のひらにすっぽり収まるくらいの、巾着とも呼べない、ちょうどお守りと言うのに相応しい袋の中には――
「何か」
 思いつきましたかという双助の声は、乱暴に扉が開く音でかき消された。
 二人が通った方の扉だ。二人は身を固くする。
 炎の揺らぎに見え隠れするのは、この城の主にしてシュリの敵――紂その人だった。高価そうな服は焼けただれ、焦げきったりしてぼろぼろになっていた。体もあちこち傷がついていて、見るからに苦しそうだ。シュリと同様、城を駆け回っていたのだろうか。
「この――泥棒ネズミめが」
 双助とシュリに迫ってくる。後からぞろぞろと、この城で雇っていたような破落戸どもが紂の後ろについてくる。見た目はどれも大男で、シュリが立ち向かってもただ攻撃を避けるだけが精いっぱいという程、腕の立ちそうな顔つきや風格であった。
「玉響と諮ってこの城を燃やしたんだろう! 大人しくしておれば痛い目を見せずにすんだものを――」
 睨みつけてくる紂をシュリは負けじと睨み返す。
「そっちがあいつに騙されたんでしょう。それに街に大砲を撃ったのはあんた――」
「小娘が、尭の綺麗事だけの正義を語りおって! 殺してくれる!」
 眉間に皺を寄せ、まずいと思った。調子が戻ってきたとはいえ、あんな破落戸達を相手に戦える程の自信はない。
 そう思っている内に、かかれえという号令に男達二人が襲いかかってきた。

「シュリさん! 下がって!」

 双助が前に出て、二本の刀を抜く。シュリは目を見張る。
 大抵は一本なのに、二刀流なんて何を馬鹿なことを。それに、ひょろひょろとして見るからに優男な双助が、まるで正反対の屈強な男達に勝てるのか――しかしシュリの心配は途端に姿を消す。
 右の手の刀で右方の男の腹を斬ったと思えば、左から迫る男を左の手の刀で袈裟掛けに斬る。後に回っていた者を振り返って両刀で斬っていく。素早く、無駄のない動きだった。斬られた身は落ち葉のように、枝から無残に落ちる雪のように、ばたばたと倒れていく。
 シュリと目が合うと、双助はふっと笑ってまだ襲いかかる敵を斬っていく。同じ右と左の手なのに、二人の人間が戦っているように見えた。
 同じ人間がもう一人――双子がそこにいるように。
 そして立っているのは、双助とシュリと紂だけとなる。
「な……小癪な」
 紂は来た道を戻る。逃げだしたのだろうか。シュリは紂のことよりも、双助の、一見しただけでは見出せない戦闘の強さにあっけにとられ、ぼうっと彼を見つめる。
 誇らしげに双助は笑いを向けた。ほっと出来るものであったが、同時にごくりと唾を飲んでしまう。
「すごいわね」
「えへへ。この両刀は俺の家――鏡家の家宝だった『雪篠』っていうんです。
 いろいろ流転……あ、太望さんのところとかにも行ったりしてたんですけど、この前ようやくおれのところに戻ってきて――」
 双助は言葉を止め、遠くの一点を見た。シュリも見る。――紂だ。奴が戻って来て、手には――導火線に火がついた、欧式の爆弾があった。
 それを確認した頃には、もう彼の手中には何もなかった。
 ただ二人めがけて、宙にそれは待っていた。

 爆発する? 早く、早く逃げなければ、威力が高そうなそれはこの部屋の調度品を粉々にし、双助も自分も埋まってしまう。最悪の場合――自分の体がばらばらになることもあり得る。
 早く、行かなければ。焦燥の血がシュリを駆け巡る。摩擦するように熱くなる。
 
 そういえばいつかも、こんなに高ぶった気持になった。
 それはいつ? 異国? 和秦で、京の都で――

 シュリの腰辺りに収納してあった何かが熱い。無意識にか、意識的にか取り出す。
 小さな頃から身につけていて、もはや自分の一部になっていた、お守り袋だ。
 中にあったのは、黒い珠――
 珠が、光る。
 銀色のような、灰色のような、黒に近い輝きが辺りの赤い光を弱めていく程強力になっていき、次の瞬間シュリは双助は、目を見張る。
 厚い床を貫いて出現したのは、水柱だったからだ。
 爆弾の火が消え、続々と水が立ち、辺りを消火し、空気を澄んだものへと変えていく。



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