門番は、普段通りさっさと眠らせてしまう。シュリにとっては軽い準備運動でしかない。紂の城の門番だというのに随分あっけなく気を失った。泥人形のように、ばたばた倒れた。
そのまま闇に潜んで身を隠し、城の内部へと進む。木に登り、手近な窓を壊そうとしたが――もう開いている。様子が明らかにおかしいが、あの赤い目の男を思い出す。
玉響が裏で動いているなら、さほど不思議ではない。シュリは中に入る。
城の廊下は絨毯敷きだった。外観だけでなく中の様相も欧風で、華北の美意識にやや反する。紂は華北人だというのに、技術や芸術がここよりも発達している欧の国々に憧れでも抱いているのだろう。こんなことをしても、民衆から美を奪っても、一歩も進めやしないと悪態づきながらシュリはとりあえず左に進む。
どこだろう。シュリの盗人らしい足取りは、闇雲に見えない足跡を残していく。外から見ても十分広そうだったが、やはり中も広かった。その上複雑な構造で、今どこにいるのか、シュリは全体図を全くつかめない。
大切なものとは何か――シュリは双助との会話を回想する。そういえば、彼は水晶玉のような無色透明の珠を見せてくれたが、それのことだろうか。それを手に入れれば――仲間なのか。
臍の辺りが熱を持った気がした。
――まだ、幻想という煉獄に囚われている。
「シュリ」
ぴたりと彼女は立ち止る。鳥肌がさざ波のように立った。玉響の声だ。
「こちらですよ」
やはり裏で動いていたのか。ありがたいが、それを素直に認めたくはない。しかしシュリは声のする方向へ足を進める。しばらくすると、目印の赤い目が見えてきた。夜目でも色が解るというのだから、つくづく得体の知れない眼球だ。シュリはその目からくる恐怖に息を飲むが、小声で玉響、と呼びながら彼のもとへ行く。
玉響は、浮かべていた嗤いを一段と深める。――その時だった。
シュリの両腕が誰かに掴まれた。背後から口を塞がれてしまう。しまったと思ったその時にぼんやり明かりがついた。
目に映るのは、目が意地悪く歪んだ面長な男。脂の浮いた長髪を束ね、欧風の服を身に纏っている。
間違いない――シュリ達の最大の敵、紂だった。
「今は冬だというのに、まるで飛んで火にいる夏の虫もいいところだね、ええ? お嬢ちゃんや」
すたすたと玉響の隣に移動する。シュリは紂よりも玉響を睨んだ。赤い目は嗤いに細まって見つめ返してくる。
罠だった。
シュリは腕を掴む、口を塞ぐ荒っぽい男の手を何とかしようと足払いをかけたり、必死にもがくが全く手応えがない。
「じたばた五月蠅い虫けらだ。お前達」
ぱちんと紂が指を鳴らす。屈強そうな男数人がどこからか現れ、そして――
「やりな」
目にもとまらぬ速さで一人が鳩尾を強く、殴った。
「がっ……は……」
眼球が飛び出るのではないかと思う程目を見開き、地獄の底から聞こえるような呻き声が掠り出て――そして、シュリは項垂れた。気を失う。最上階へぶちこんでおけと声がする――と思ったのが、シュリのその日最後の記憶だった。