「あんた――」
 シュリは恐怖という冷たさに身を縛られながらも声を絞り出す。
 ――その冷たさによって生み出されたようで、憎らしい。
「勝手に人の部屋に忍び込んで――何の用よ」
 闇に慣れて段々彼の顔が見えてくる。玉響は相変わらず不気味な妖しい嗤いを浮かべていた。口が奇妙に動く。
「情報を授けに来たんです」
 玉響は一歩近付いてきた。
「情報……? 何の」
(ちゅう)の屋敷に――忍び込みなさい」
 その言葉に、目を丸くした。

 紂――この華北、とりわけ今シュリ達が拠点としている京安で一番の実力者であり、数多くの貴族達を率いている。尭と対をなす存在と言えるだろう。民衆から、金も学問も技術も芸術も、生きる希望でさえも奪うように指示を出している、全ての元凶が彼だった。シュリを始めとした尭を慕う全員が奴を忌み嫌っている。いつかは紂を成敗し、京安の安寧を得ることが、巨大な華北全体の平和のための第一歩である。しかし――そう現実は都合よく行かない。
 シュリ一人が忍んで行ったところで、歯車が何かに引っ掛かる程度――いや、歯車自体それに気付かず、むしろ強い回転により木っ端微塵にされる――何も変わらない。その苛立ちを発散させる為もあり、シュリは周りの雑魚貴族に天誅を下している。

「なんで、そんなことに何の意味が」
「そこに」
 ゆらり、と柳に風が吹いたように玉響はシュリにどんどん近付いてくる。

「あなたにとっても――そう、花依と、和秦から来た連中にとっても大切なものが眠っている」

 シュリは大きく開いた目を瞬かせた。玉響はシュリの目の前までやって来て、シュリの鎖骨の中心に指を当てる。ばねのように体を反らしてシュリは驚いた。玉響は、嗤っていた。いつもより少し愉快そうに――そのくせ全く楽しんでいないように。
「――大切なものって、何よ」
「さあ、私は知らない」
 行って確かめれば良い。そう言い玉響は扉を開け出て行ってしまった。全く足音も無ければ、扉の軋む音もしない。シュリの耳朶を震わせるのは、段々荒々しくなる己の息遣いと心音だけだった。
 シュリの固い壁を崩そうと、摘み取ったはずの約束が壁の淵から生えてくる。その蔦はうっすら発光していた。華北の為に、玄冬団の為に生きることと、双助を待つことが絡まり合って、シュリを左右から引っ張り合い、拘束する。
 のろのろとシュリは窓まで移動する。窓を開くと見える、欧風の巨大な、紂の悪趣味な城が見えた。眉間に皺を寄せ、睨む。

 こんなに近くに黒幕がいるというのに、何も出来ない。

 それから久しぶりに星を見上げた。星はしばらく見ない間に少し位置が変わっていた。
 そして目を閉じ――決心したと、開いた目が語る。


 シュリが部屋を飛び出し紂の城へ向ったのはそれからすぐのことであった。

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