「何だい大きな音出して」
 玲婆がお茶を手に戻って来た。シュリはようやく現実に戻って――戯言の世界から抜け出せた気がした。
「ごめん、何でもない。ありがとう玲婆」
 温かい杯が冷たい手を癒す。香り立つお茶は心も緩めていく。もう一度落ち着いて円盤を見た。
「それが気になるのかい?」
 シュリを覗き込むようにしている玲婆からそう訊かれる。えっと、と口を開いたはいいが微妙な沈黙を落として終わってしまう。振り切るように首を振る。

「ううん別に、違うわ」
「ふうん。どれ、占ってみようか?」
 目を丸くしているシュリを、玲婆はにこにこして見つめていた。

「え? いいよ、そんな」
「すぐ終わるわいな。そうじゃの、恋愛がいいかの」
「な、何でそうなるの」
 語気が荒くなったことに自分で気付いてシュリは赤面した。
 花依と信乃が頭に浮かんだのはまだいいが、何故か双助も一緒に浮かんできたのだ。

「シュリくらいの年頃の女の子だったら、と思ったんだけどねえ」
 シュリはやれやれと肩を落とし、息をつく。
 花依は恋をしていた。シュリは盗賊だ。色恋とは無縁の世界に生きている。花依と違う世界に――実のところずっと生きてきた。

 二人の間には本当は見えない壁があって、きっとお互い誤魔化しながら情を育んできた。

「ええとシュリの生まれた日は……見つけたのは陰暦では確か……となると」
 とこめかみを拍子でもとるように指で叩いた。生まれてすぐに捨てられたらしいシュリは生まれた頃のことなど何一つ覚えていない。拾われた日すらも知らないが、玲婆はその頃から尭に仕えているのだろう。自分が本当に世界に受け入れられた日を、誰かが覚えている。やけに自虐的になっていたシュリには、それがどこか嬉しかった。
「じゃあ太陽暦では一月……だいたい山羊座だね」
 何かぶつぶつと口を動かし、また手をそろばんでも動かすように、玲婆は占っていく。盤の上には様々な小物がシュリには解せない並べ方で陳列されていった。

「でたよ。――行く先は、黒い闇。しかし黒は光の始まり。黒い夜空に、星は輝く」
「……何それ。悪いことばっかりって感じ」
「要は頑張れってことさねえ。しっかりおやりよ。
 ――それにしても占星術なんて何年ぶりかのう。鏡殿のお屋敷では、坊ちゃんとよく星座の話をしていたっけね……」
 玲婆もお茶を飲み、ほうと暖かい息をつく。彼女の横顔はどこか寂しげだった。シュリは途端に居た堪れなくなり、話題を変えようとして結局同じ話題を口走る。

「あの、星座って――よくわかんないんだけど、何? 空にある星だってのはわかるけど」
 玲婆はばつの悪そうなシュリの顔を見て微笑した。やはり皺は笑窪に見える。
「星座はね、空に浮かぶ星を結んで作るのさ。
 そうだねえ、いくつあるんだろう――地域によって違うんだろうけどね、私の聞いた話だと四十八はあるね」
「そんなに」
 それとは別に二十八宿というのもあるねえ、と玲婆はやんわりと言う。
「で、その四十八の中にあるのが黄道十二宮っていって、太陽の通り道にある、他の星座とは違う特別な星座だよ」
 双助の語った経緯にも、その十二宮とやらが出てきたなと、シュリは頷きながら思い出す。

「牡羊座、牡牛座、双子座……シュリの山羊座、そして水瓶座、魚座。
 この星座はね、誰にだって与えられるんだよシュリ」
「誰にだって?」
「暦さえあればね」
 そういえばさっき、陰暦だ太陽暦だと呟いていた。

「でもねえ……最近は、こんな星座の些細な知識でさえも貴族に取られちまった」
 道具を片づけながら呟く玲婆の顔には陰が落ちている。

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