雪を見て、何度か息をつく。白く煙る息の行方を見つめるうちに、ようやく全身に渡る寒さを感じた。窓を閉め、かじかんだ手を擦り合わせてどうにか暖かさを絞り出す。何か温かいものでも飲もうとシュリは食堂へ足を運んだ。
夜と雪が、自然と自分の足音を消していく、とシュリは思った。
食堂には先客がいた。
「玲婆」
その人物はシュリに気がつき、にこりと笑ってみせた。顔の周りの皺が笑窪に見え、シュリは夜の静けさの中で和やかさを得た。
「具合はどうじゃ?」
「大丈夫。それより寒くてね……」
お茶淹れてあげるよ、と玲婆は立ち上がる。自分でやるよとシュリは言いたかったが、彼女もシュリの無理な活動を知る一人である。好意を素直に受け取ることにした。
玲婆の隣の席に腰かける。隣を見ると何やら怪しげな小道具や妙な形の小物や板、水晶玉などがごちゃごちゃと広げられている。シュリは疑問と興味で首を傾げる。
玲婆は、尭に仕えている占い師である。古今東西様々な占いや秘術に精通しており、彼女の予言はそれはそれは霊験あらたかなものであるという。尭にも何度か指針を示したことがあるらしい。華北に来る前は、何でも、和秦の武家に仕えていたとのことだが、その武家は主人の自殺の為家人も従者も散り散りになったといつか誰かが話していた。
シュリは占いだの予言だの、嫌いではないが――頼ることはどうも出来そうに無かった。約束もない未来のことをシュリは勝手に決められたくはない。だからと言って、約束だけに依存したくもない。信じられるのは――それでは一体何なのだろう。自分だろうか、ぼんやりそう思い、そのごちゃごちゃしている小物を弄ぶ。里に玲婆が来た時は子供達がこぞっておもちゃにして遊んでいた。大事な占い道具だというのに、それでも玲婆が怒ることはなかった。春の陽光のように穏やかに笑っていた。彼女のことが、シュリは嫌いではなかった。
ふとシュリは、木製の円盤に目をやる。何とはなしに取り上げてみると、そこには十二個、何かの記号が円になって並んでいるもので、各々下に絵が描かれていた。それを眺めていると、シュリは見覚えのある記号を発見した。己の下腹部に黒々と存在する、外国の文字のような、はたまた外国の数字のような記号が、その盤にも浮かんでいる。記号の下には上半身が山羊、下半身が魚という奇妙な生物が描かれている。
(これ、もしかして山羊?)
そこでシュリは、ある声を思い出す。
双助の、声だった。
――それが、山羊座の紋章なんです。
「何よ、山羊って言っといて……山羊なのか魚なのかわかりゃしない……」
呟きながらシュリは苛立ちを髪を掻いてごまかした。そして自分のへその上あたりを覗き込んだ。確かに同じ記号が黒く浮かんでいる。他の記号も見ていく。そこには、双助が見せてくれたあざ、信乃と花火のあざと同じ形が肌から基盤にそのまま移動したかのように存在していた。さらに、花火のあざの隣にある記号には見覚えがある。弓矢を表しているらしいそれは、和秦の京で格闘した男の、右頬にあったものだった。
(あの男も、双助君の仲間……)
双助が連れて来ると言った、十一人の内の一人なのか。シュリは人数を勘定してみた。信乃、花火、オーレ、その男、そして双助。ひょっとすると、李白も、女のような男も、そして赤い目をした刺青だらけの少女も仲間かと思うと、八人もいることになる。そして驚くことに、双助の語った彼らの経緯によれば女を除いて男八人はもう揃っているらしい。
総合して考えると――もう十人もいることになる。
シュリは盤をわざと荒々しく置いた。ドンという音が思考を破裂させた。考えない考えないと首を振る。そもそも仮定の三人を除けばまだ七人。
揃うはずがない。十一人も揃って、自分を迎えに来るなど出来るわけがない。無理な約束だ。