瀧田城を目前にして、すうと深呼吸する少女がいた。青の姫、チルチルだ。
「すっごおい。メーテルリンクのお屋敷よりもずっと、ずっとずっとずうっと大きいっ」
「中も広いよ」
興奮するチルチルの隣のニコはそれに押されてか、少しおずおずと言う。
「早く中に入ろうぜ」
銀髪を撫でつけ与一がチルチルの背中を押した。
「そうそう。殿も待ちかねておろうし」
「でも、今回は何の連絡もなしで帰ってきちゃって……大丈夫ですかね」
与一の後ろに太望、スピカが続く。
口ではそう言いながら、チルチルのいた国――大陸からは和秦は遠く離れているので、下手に連絡して城の者を長い間やきもきさせるのも辛いだろうと内心考えていたため、まあ難はあるまいとしていた。スピカは空を仰いだ。
久しぶりに眺める安房の空は曇っていた。それも、晴れが期待できるという風ではとてもなく、むしろ、これからますます荒れるような、先行きが案じられる空模様だった。
チルチルは道もわからないのに、先頭をきって歩いていた。彼女は黄道の出発点である白羊宮の姫であるから、別段おかしくはないとスピカは思う。しかし、青の姫なのに白羊か、それはおかしいな、とふと思う。白は李白だ。そして――それら寒色と対照する色は、赤――カーレンに、ようやくスピカは思い至る。
カーレンのことを考えないようにしようと、スピカは意識的に拒絶してきたつもりだった。彼女を想うこと自体、悪い気持ちは決してしない。しないのに、しかしチルチルを無事に城へ届けることばかりを考えた。カーレンも城にいる。無事に帰ることこそ、二人の望みであったのに――それを考えないようにしていた。
きっと、自分はとっくに気付いているのだ、とスピカは思う。彼女を想うという行為自体の質が変わってきていることに。それが、今までに無いものだということに。
そのことに少し――怯えているのだろうか、怖がっているのだろうか。
裏腹な行動ばかり、意味のない結果として、心に積まれていく。
この答えは、いつか出るのだろうか――そう思った時だった。
「――スーちゃん?」
カーレンの声が前方から聞こえた。そんなことを考えている時だった為、不思議とスピカは運命と言う言葉を浮かべてしまう。いや、馬鹿げている――と冷静さを取り戻す。時機が良かっただけだ。
何があったのか――事態は、深刻らしい。カーレンは走ってこちらにやって来るが、表情は慌てきって青ざめている。くだらないことばかり考えている暇は無さそうだ、とスピカは瞬時に悟った。苦しく息をついて彼女は言った。
「みんな、大変なの、陽星さまが」
彼女はニコ、太望、そしてチルチルに会ったことはなかった。が、そんな小事に気を捕らわれる暇は無いらしい。らしくなく――スピカがいつも想像する、無邪気に優しく笑う彼女ではなく、ひどく狼狽した様子だった。
「若が? どうした」
「やっぱり――引き留めておけばよかった」
カーレンはうなだれる。何か、陽星に良くないことが起こったのはわかったが、真相を知らない。
よろよろと腕を上げ、スピカの指を、力なく握った。
「若が行く前から、変な気はしてたの。でも、若がすっごく嬉しそうに笑ってて、やる気で目もきらきらしてたから、それを止めるようなこと、出来なかった」
「落ちつけよ、何があったか、きちんと」
「若がね、誘拐されたんだよ」
いつやって来たのか、オーレの声がした。
「おかえりみんな。非常にいい時に帰ってきてくれたね」
「誘拐って、一体何が――」
オーレの背後にシリウスと、李白達が続々と集う。花依と初対面のスピカは誰だと首を傾げたが、カーレンと同じように、そんなことに気を捕らわれている状況ではなさそうだった。