里見の黒雲
華北を出て程なくして、花依を連れた一行は安房、里見の地へ到着した。もう冬だが、この地域は比較的南方にあることもあり、暖かい。裏作として米以外の作物を栽培している畑もある。それでも他の季節と違って静かで落ち着いた田園風景を眺め、城下町を通って、やがて瀧田城内――花依の生まれ故郷へと至る。
城門にはカーレンと李白、そして礼連と陽星が待っていた。初対面同士の姫二人と信乃、双助は挨拶を交わす。李白は花火が無事に帰ってきたことにひどく安心しているようで、二人の視線はそれとなく結ばれていた。
花依を紹介する頃になると、はしゃいでいた陽星が途端に静かになる。おずおずと目を上げ、姉である花依を見る。
「私の、姉上」
言葉が続かなくなる。存在は父から教えられてきたのだろうが、実物を目の当たりにして戸惑いは大きく、上手く隠せない。
「そうよ――あ、そうです。……あ、でも、きょうだいだったわね」
花依の方も混乱している。無理もない。里の方で子供達の扱いに慣れてきたといっても実の弟の存在は十分唐突過ぎるだろう。花依はとにかく笑ってみせた。どうも効果的だったようで、陽星もぎこちない顔つきから柔和な笑顔になる。
陽仁のもとへ至る道中で花依はすっかり打ち解け、一行は笑いに溢れた。政所に着くと、花依の後ろに一行は正座し、父であるその人をじっと待つ。次第に緊張がその精度を高めていった。
そして陽仁がシリウスを連れて現れる。緊張の頂上はほんの束の間だった――楽にしてよい、と仰せが出る。
「大きくなったな。花依」
「お、お父、様」
花依は父と目を合わせた。ごくりと唾を飲む。
「……長い間、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
恭しく額づくが、いやいやと陽仁は首を振る。ほっとした笑顔が場を和ませた。花依から緊張の糸がするすると抜けていく。
「無理に連れてきたのはこちらだ。本当は、二人を向かわせた後で何度も悩んだ。
花依は確かに、私の娘だが――それでも今までの人生があると考えたら」
「そんな、滅相もございません!」
花依は思わず大声を出したことを少し恥じつつ、瞳を逸らさずきちんと、父である陽仁に伝えた。
「私にとっては確かに、華北が故郷です。
ですが、何年も待ってこられたお父様に弟の陽星、そのほかいろいろなお方を想い、私は、ここに参りました」
その瞳と口調は強く、陽仁を首肯せしめるものだった。どこか、あの太陽の姫に近い輝きがある。
「花依。ここを、第二の故郷と、思って欲しい。
――窮屈を感じたらいつでも華北に戻ると良い」
「お父様」
「二つも帰るべき場所があることは、とても稀なことで、素晴らしいことではないか」
にっこり、陽仁は娘に対し笑う。娘は、こみ上げる想いをゆっくり体全体に溶かして微笑して、頭を下げた。
「さあ、今日はこれから、姫の為の宴ですぞ」
シリウスがそれを見届けてから発表し、わあっと花依の後ろにいた一行は喜んだ。陰鬱な運命上で、平和がしばらく続くかに見えた。
謁見を終え外に出たオーレは、どこからかとてつもなく黒い雲がこちらに迫っていることを感じ、さっきまで感じていた暢気な気分がたちまち消え去ったのを苦々しく思った。
やや北寄りの方向に視線を投げかけた。振り返るとカーレンが立ち、同じような方向を赤い目で見つめていた。
――油断は出来ない。オーレはそう暗に思った。