そして夜が訪れた。里の人々が寝静まってから大分時が流れ、東の空には春の星座がぽつぽつと頭角を現し始めている。
 シュリは何故か目が覚めてしまい、渇いた喉を潤そうと水瓶の所へ行く。水を飲み、部屋へ帰る途中ゆらりと動く人物を発見する。花依だった。彼女全体がぼんやり淡く光って見えているのである。


(――花依。どこ行こうとしてるの?)


 声をかけようとしたが、おどかしては悪い。シュリは密かに彼女の足跡を辿る。
 ゆっくり、ゆっくり、花依は移動する。花依は起きているのだろうか。眠っているのだろうか。
 それ以前に――生きているのだろうか。
 シュリはぶんぶん首を振る。いや、自分の目の前にいるのは紛れもない、一緒に育ってきた花依だ、と。そんな馬鹿馬鹿しいことを考えてしまうのは多分、昼間双助が話したもう一人の花依の所為だろうとシュリは考えた。
 ある部屋の前で、花依は止まった。その部屋は、信乃と双助が休んでいる部屋だった。
(花依――もしかして、よ、夜這い?)
 そんな、とシュリは角に隠れながら焦る。純情無垢で可憐な花依がそんな大胆な、と思う。いや? 純粋だからこその行動力だろうか? と焦る一方、花依は花依で、シュリのことは構わず成長してきたんだと思うと、やはりシュリは昼間のような言いようもない孤独感を覚えた。
「――信乃さま」
 それは確かに、花依の声である。しかし、ずっと一緒に育ってきたシュリには――その声はいつもの花依とは違う、と瞬時に悟った。
 戸が、静かに開いた。信乃の横顔が現れる。
「花依さん? どうしたの、こんなに夜遅くに」
「信乃さま」
 花依はまっすぐに、信乃を見つめた。信乃は一度口をあっと開き、わなわなと震わせた。


「――花依?」


 出た言葉は――シュリが聞いても、双助が聞いても、おそらくただ一人のことを指している響きを持っていた。


「そうです。花依です。花火お兄様の妹の、花依です」


 シュリは息を飲む。信乃はそれが信じられないようで目を何度も瞬かせていた。シュリも同様だった。何度目蓋を下しても、いるのはいつもと何ら変わらない彼女だったが、ちょっとやそっとの付き合いでは見破ることが出来ない程似ているが、違う花依が、そこにいた。
「この娘の体を借りて、あいにきたの」
 花依は、涙を流したようだった。
「私は、私は、信乃さまの妻になるって誓ったのに、先に死んでしまった」
「――花依」
 信乃は彼女の頭を撫でようとしたが途中で止め、ぎゅっと拳を丸めた。触れたくてももう触れられない存在が出現したのに、信乃の手は動かなかった。
「――ごめんなさい。さよならが言えなくて。ううん、――言いたく、なかった」
 弱弱しく首を振る。時折光るものは何筋にも分かれていた。殺されてしまったんです、と、シュリに双助の声が甦る。さよならなんて、とシュリは目を伏せた。


 さよならなんて言うつもりもなかっただろう。一生使うこともなかっただろう。詳しいことは知らないが、未来を待っていたんだろう。シュリはそして、自分のいる玄冬団を、捕えられて死んでいった同志達を思う。圧政に苦しむ民衆を救うための義賊であり、身に迫る危険を十分に知りながらも――本当は、大切な命達を残して死んで行きたくなかっただろう。
 そしてまだ――シュリが経験した悲しさや辛さや涙は、報われていない。


「――花依」
 信乃の声で、シュリは再び目を上げた。



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