過去の陰鬱な場面を思い出した為すっかり自分だけの世界に浸っていた双助には、シュリの声は十分現実に引き戻す力があった。少し前にシュリにも同じことを仕掛けたことなど、双助は知らない。


「同じにされちゃ、その花依さんも、今の花依も、
 あたしも信乃くんも双助くんも、たまったもんじゃないわよ」


 ねえ、とシュリは双助の方を向く。
 双助はあっけにとられて口を呆けたように開けたままだったがすぐに微笑した。
「――そう、ですね。そうですよね」


 どんなに願っても、あの花依は帰らない。
 今ここにいる瓜二つの花依にも、彼女だけの人生がある。別物なのだ。今いる花依に、死者の花依を望めば、今いる花依を望む人は悲しむし、憤るだろう。花依は花依で、信乃は信乃で、双助は双助なのだ。
 それは、当たり前のことなのだ。


「はあ、仕事になんないわね」
 シュリは立ち上がり、体を少し動かす。そしてうんと伸びをした。その時双助は、何とはなしに彼女の体つきを見ていた。猫のようにしなやかですらりとした、無駄のない体つきだった。彼の目は偶然、へその辺りにいく。
 双助は一瞬、目を疑う。ふう、とシュリが腕を下したので衣服は下がり、へその辺りはもう見えなくなってしまったが――双助は、見た。


 黒く浮き上がった、山羊座の印を。


 欧文字の表音文字のようで、欧で使われる数字の七のようでいて――右端に円を描いている複雑な図形――その紋章を、たしかに見た。
「ちょっと、シュリさん!」
「何よ」
 ぶっきらぼうな口調だった。しかし、双助は全く気にしなかった。
 彼女が、シュリが、探し求めてきた黒の姫かもしれないのだ。
「えーと、お腹、ちょっと見せてくれませんかっ!」
 しばらく間をおいて、シュリは引きつった笑顔を浮かべる。
「……女の子によくそんなこと言えるわね」
 はっと双助は自らの発言に身を冷やす。男勝りなシュリだが、いくら何でも失言であった。
「あ、えーと、そのー」
 詳しいことを説明したいが、シュリの冷たい――本当に怒っているという表情に何を言ったらいいものか。双助は空いた口を魚のようにぱくぱくさせるしかない。
「――夕飯も作ってちょうだいよ、まったく!」
「あ……今日も泊っていいんですか?」
 シュリは奥に進もうとしていた足を数歩で止める。どうも今度は彼女の方が失言だったようだ。ふんと鼻を鳴らし顔を赤らめているシュリが、双助にはやけに可愛らしく見え、双助は思わず笑ってしまった。その笑いにも何か言いたそうにしていたが、シュリは抑えて奥へ行った。




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