――そんな風に言うことないじゃない。
 隠れ里の昼下がり、シュリは縁側に小さな机を出してそれに肘をつきながら、今朝方の花依の言葉を思い出していた。
 確かに、花依の言うことは正しい。シュリが花依の言動に口出しできる権利はどこにもないのだ。シュリは花依の姉貴分でしか無い。花依の心に芽生えた、桃色の感情の双葉を摘み取ることも、シュリだけでなく、誰にだって出来ない。
 シュリは床に置いてあった書物や巻物などを机の上に置く。
 勉学に励むわけではない、彼女が属する盗賊団――玄冬団のために今後の予定や次の標的についての下調べをするのである。
 資料を紐解きながらもシュリは集中できず、花依のことを考えていた。目線を少し上へやると、子供達と花依が遊んでいる光景が見えた。自分達が盗賊団に属しているとは思い難い、長閑で心休まるものだった。
(花依も、誰かを好きなったり、惚れたりするんだ)
 そんなのは人間だから当たり前だろうと、シュリは思う。だけどこの里で、玄冬団という世界の中で、多くの人が死に、そして生まれているというのに――シュリは今まで恋も愛も、まったく心に浮かべることはなかった。深く考えることがなかっただけで聞くことはあったろうが、小さな世界で生きるシュリにとってはどうでもいいことだったのだ。
 視界に信乃が入る。仲睦まじく、花依と話をする様子は相変わらずだが――信乃はやはりどこか陰があった。陰の理由をシュリは知らない。だからシュリは疑問に思い視点を二人に定めていた。信乃も子供によく懐かれていた。
 花依が先に恋の世界へ入り込んでしまった。シュリは恋に興味はない。けれど、どこか寂しかった。二人が笑っている世界の外側にシュリはいる。シュリ一人だけがそこに存在しているような、そんな気がそっと、押し寄せた。


「何してるんですか」
「きゃあっ!」


 背後から急に声をかけられ、シュリは体勢を崩し資料を散らかしてしまう。声の主は双助だった。
「あ。すみません」
「びび、びっくりしたあ。驚かせないでよね。えーと……名前」
「鏡双助です」
 にっこり笑って双助は言った。資料を集めてシュリに渡す。この世界に自分しかいないのではと錯覚した矢先の出来事だったので、シュリは変に胸が高鳴った。そして二人は並んで縁側にいるようになる。
「こっち見ないでよね」
 わかってますよ、と返事が来る。双助はシュリ同様、信乃と花依と子供達を見ていた。横顔には笑顔が浮かんでいる。何となくシュリも気が削がれて、同じ光景を見る。
 子供たちにせがまれて信乃は腰にさしていた一振りの刀を抜こうと人払いをしている。さっと、刀を抜く。危ない、とシュリが顔をしかめたがしかし、次の瞬間彼女はあっと目を開く。刀の切っ先から、刃全体へすうっと何かが渡ったと思えばさあっと、水が舞ったのである。子供達も花依もわあーっとその心地良さそうな飛沫に心を奪われ、わざと濡れたりしている子供もいた。
「ね、何あれ?」
 シュリも目を丸くしていた。
「あれは、宝刀村雨丸ですよ」
 むらさめまる? とシュリは双助の方を向く。双助は微笑した。
「殺気をはらんで抜けば、切っ先から水が滴る――
 血も汗も涙も痛みも刃に残すことはない、素晴らしい切れ味の刀です」
 殺気をはらんで? とシュリはにわかに眉を潜める。
「じゃ信乃くんは誰か殺そうとしてたってわけ? ついさっき! あたしの大事な家族をっ」
「いや、きっと信乃さんには加減ができるんですよっそんなことはないですって!」
 双助の胸倉を掴みそうな勢いで睨んできたシュリを双助は宥め、もう一度信乃の方を見るように指さす。依然として、長閑な光景が続いている。
 今度は一人の子供が宝物を見せるように、信乃の方に手を伸ばしていた。信乃がその手の中から何かを取り出す。白くて、石のような形をした、しかし石よりもずっと柔らかそうな何かだった。
「なんです? あれ」
「ああイーズーよ。知らない? 和秦にはないの?」
 いいずぅ? と今度は双助がシュリの方を向く。シュリは得意げに笑った。
「洗濯物を洗うとき、あれでこすったり水で布と揉み合せたりすると泡が出てね、それが汚れを落としてくれるの。あれがあるのとないので、全然洗濯物の出来が違うんだから! 和秦は遅れてるわね」
 ふふんと小気味よく笑うシュリの隣でへえと何度も頷いて感心する双助は、再び信乃の方を見る。すると信乃は何かそのイーズーで遊んでいるようだ。そうも、何かを作っているらしい。花依も興味津々に覗き込んでいた。草花の茎で小さな筒を作り、小さな器の中に水と、イーズーの泡――いや小さな欠片を入れかき混ぜる。一体何だ? とシュリも双助も信乃にくぎ付けになっていた。茎をとんとんと水につけ、ふうっと宙に、吹き出す。
 ふわふわふわと、丸く、ふよふよともろく見える玉がいくつも宙に現れる。


「わー信乃さんすごいやー」
「へー……」


 不思議な玉は浮かんではすぐ消えるものだったが、子供達の心を掴むのに十分過ぎるものであった。ぼくにもやらせておれにもやらせてあたしにもやらせてと子供達は一層信乃と花依に群がった。作ってやるから待ってて、と宥め早速信乃はその液の量産に取り掛かった。子供達は花を摘み自分だけの茎を手に入れるため散らばっていった。
「信乃さんって、昔からああいった発想に冴えているんですよねー」
「ふうん。どれくらい昔から、彼のこと知ってるの?」
 シュリは何とはなしに訊く。
 十になるかならないかの頃からですねえと、双助はぼんやり信乃達を見て話す。





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