瓜二つの少女はその名で呼ばれて、え、と小さく発したようだ。口がそう動いたのを、双助が見た。彼女は困惑したように目を瞬かせながらもこちらをじろじろ見始めた。やがて目を逸らす。すぐに信乃は飛び出した。


「花依っ、生きてたのか!」


 双助も飛び出した。花依と瓜二つの少女はただ少しずつ後退するだけだった。双助は信乃の後ろを進んでいたが、何歩目かに双助は何か――土ではない、動物の排泄物でもない何かを踏んだ感覚に襲われた。何だ? と思い双助は立ち止まった。足元を見ると不自然に草が生えている。周囲の、冬色に霞んでいく草花と明らかに違う、どこか別の場所で育ちここにわざと植え替えさせられたような草だ。
「双助?」
 近づいてこない義兄弟を不思議に思い信乃は振り返る。その瞬間、びゅっと信乃の頬を掠めたものがあった。それは地面に勢いよく突き刺さった。矢である。その矢が生んだ疾風の所為か、信乃は頬を妙に痛いと思ってさすった。見ると双助の近くにも矢が刺さっている。
「信乃さん危ないっ」
 え? と思った時には、頭にこつんと石が当たり終わっていた。ぽこぽこぽこと連続で降り注ぎ、小石だったが信乃は鬱陶しく感じ、双助の方へ逃げていく。矢と同じように、双助の方にも石つぶてが降っていた。
「な、なんなんだ、双助、これ!」
「おれも知りませんっ」
 少し目を凝らして、双助は少女のいる方を見てみた。さっきまで信乃が立っていた場所にも不自然な草が生えている。
 わんわんわん、と犬の鳴き声がした。警戒の波長だ。聞いただけでそうと知れるほど露骨な咆哮だった。さらにはメェメェメェと何かがやかましく鳴く。山羊のようだ。
 そして――石つぶてに散々いじめられた頭に、二人は小気味いい殴打を喰らったのである。


「紂からの手先ねっ!」


 女の声だった。二人は頭を抱えて、声のする方に振り返る。
 女はすらりとした体で、その体にぴったりと合い動きやすそうな漆黒の華北の衣を着ている。肌は信乃達よりも白く、目は真っ黒だった。もともと吊り目らしいが、それをさらに吊り上げて二人を見ていた。犬の鳴き声と同じで、一見するだけで警戒していることがわかる。むしろ威嚇していることもはっきりと伝わる。髪は風に揺れる小麦のような、或は黄昏時にわずかに見える黄色い太陽光のような色をしていて、こめかみの辺りでくるくると丸まっている、くせ毛の部分があった。花依に似た少女とは違い、肩よりも上の短髪だ。
 双助は彼女のことを信乃よりじっくり見つめていたので、彼女は双助の方に睨みをきかせてきた。
「何見てんのよ。さては図星でしょ。本当に刺客なのね。諜報員なのね」
 違う違う違いますと二人は合わせた。
「刺客だか諜報員だか工作員だか知らないけど、部外者はとっちめてやんのよ」
 と彼女が拳を振り上げたその時、二人の背後から声がした。
「やめて、やめてシュリ! この人達はただの旅の人よっ」
 声の主は近付き、二人の眼前に更にはっきりとその姿を見せた。シュリと呼ばれた黒服の少女は彼女を見て不服そうに拳をほどいた。


 二人の眼に映るその少女は――やはり、花依に似ていた。「花依そのもの」と言っても、それが変に聞こえる――それくらい、花依本人が甦ってそこにいるようだった。少女は申し訳なさそうに眉を曲げ頭を下げる。
「ご無礼を致しまして……」
 もう一度顔を上げた彼女を信乃はぼうっと見つめたまま、うんともすんとも言わなかった。シュリがじろりと二人の方を睨み続けている。いいえとんでもありません、と急いで双助は言葉を繋いだ。頭を掻きながら急いで自己紹介をする。
「おれ達は和秦から来ました。おれは鏡双助、こちらは大塚信乃さんです」
 そう言われて初めて信乃は今ある状況を意識したように、慌てて信乃です、と頭を下げた。
「私は、花依と言います。こちらはシュリ」
 息をのむ。名前まで同じだった。だから名前を呼ばれた時、見ず知らずの人が何故自分の名前をと思って、彼女は困惑していたのだろう。そう思いながら双助はシュリの方を見やった。双助達のことなどはなから信用していないという目でこちらを見ていた。双助は彼女に笑ってやりたかったが、それはどうも逆効果だろうと思い、肩をすくめる。
「あの」
 信乃が少しばかりの沈黙を破り、花依に問いかける。花依は少し、体を強張らせたように見えた。
「あなたは……和秦から来た、ということはないですか」
 そう言って、信乃は目を伏せた。
 双助はその問いかけが、現実の圧力に崩れ去る、儚い願い事であることを知っていた。そんなこと、あるわけがないのに、だけど願ってしまう――どんな時代にもあるはずの、普遍的な人間の形を、双助は見出した気がした。
「おあいにくさま」
 勝気な声がした。シュリだった。
「花依は捨て子で、同じく捨てられてた私と一緒にここで育ったの。
 和秦なんて、この子は行ったこともないわ」
 言いながらシュリは花依と並んだ。白っぽい服装の花依と黒い服のシュリは、あえて言わなくても、何から何まで対照的な二人のようだった。


 ――シュリは横目で花依をちらりと見て、つい先日和秦に行ったことを思い出す。そこで起きた事件に腹立たしいのか、悲しいのか、申し訳ないのか、時間が経った今でも気持ちが混沌としていて整理がつかなかった。


「そうだよな」
 自嘲めいた笑いを浮かべ、信乃は呟く。


「花依は……もういないんだよな」


 打ち砕かれた儚い幻想を頭の中で拾い集め、信乃は確認するように双助を見る。やはり笑った。
「――信乃さん」
 双助が何を言っても、死んだ者は戻らないし、戻ってきて欲しいという願いも、また完全に無くすことは出来ない。双助は、そんな気がしてならなかった。


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