ある時彼は複数の女子をまるではべらすかのように周りに囲んで、楽しそうに談笑していた。外は相変わらずの雪模様で、それを背景にする彼らはこの生徒会室で余計目立っていた。
 しかし私からすれば悪目立ち。そこまで格好良くない彼が、女子と打ち解けて和んで会話の応酬を楽しむ。滑稽だ。愚の骨頂だ。なのに彼は普段より輪をかけて楽しそうに見えた。それに私は何故か、歯痒い想いを抱く。

 何よ、あんなに鼻の下を伸ばして、でれでれしちゃって。私は心中で必死に毒づく。最近はどうしてか力の弱まる速度が一段と増してしまい、彼に群がる彼女達を自然に追い出すことが出来ない。そのことも私を悩ます一因だった。
 ふん、と私は気付かれないように鼻息を出す。そこではたと気付いた。
 これではまるで、嫉妬しているようじゃないか。
 いや、これはどう考えても嫉妬じゃないか。

 私は愕然とする。私は人間と違う、もっともっと崇高な存在なのに、なんという人間臭い俗な感情を抱いているのだ。棄てようと思っても私はあまりに人間に馴れ親しんだためか、容易に出来ない。むしろ、度合いは加速していく。
 私は彼の姿をちらちらと見やっては、周りの女子達に暗に毒づいている。それが数分間に何度も続く。不愉快で頭がはち切れそうだ。

 生徒会室を出て、近くの階段の踊り場に向かい、少し冷静になろうと努めてみる。冷たい空気、壁から放たれるその冷気は果たして私の心を癒してくれるのか、私の火照った体を元に戻してくれるのか。そう、私がまだ人間の垢にまみれていない頃の美しい入れ物に。
 大体、私が女の姿でいるからいけないのだ。そう思いながら、踊り場には鏡があったので、全身を映してみる。
 背は低い方で、女性として理想的な肉づきもしていない。綺麗や美人と言うよりも可愛いや愛らしいという方に分類されるだろうか。髪だけは長くて綺麗で美しいと自負しているが……まあそんなことはどうでもいい。
 何故この姿を選んだのだろう。男になっておけばよかった。もしくは老女、老人を選べばよかった。もっと子供でもよかったかもしれない。……しかし、老人だったり、対象年齢を外れた子供だったらこの「遊び」は出来ておらず、彼とも出逢えなかった。
「……男、か……」
 髪の両側に流れる、細長い三つ編み――私はこの三つ編みを結構気に入っていた――をいじりながら私は呟く。そして、来た道を引き返しながら徒然と考えた。

 私がもし男の状態で彼に出逢っていたら、どうだっただろう。この胸に渦巻く嫉妬や、あるいは、もっと違った感情は生まれなかったかも知れない。
 もっと違った感情、それは、彼が何を考えているのか知りたいと思ったり、彼と同調する為には何が必要か考えたり、何気ない横顔に、恍惚としてしまったり――感情とは呼べないような細かいものも多分に含まれているが、そんなものだ。これらの感情は聞こえはいいが、同時に嫉妬や儚さをおびき出したり、私と彼が互いに通じない存在であることを、否応なく押しつけてくる。
 性別を選ぶ時、男にすればよかった。いや、今からでもなれることはなれる。しょっちゅう姿を変えている、仲間の一人のあいつのように。じゃあ、私はこれから男になろうか。
 しかし、急に歩みを止めることで私はそれを、拒否した。

 性別や外見が違うからといって、私は彼のことを意識しなかっただろうか?
 好きに、ならなかっただろうか? ――そんなことは、ないはずだ。

 そこで私はまたも愕然とする。「好き」と、明確に思ってしまった。人間である彼を、そんな特別な、それこそ人間臭い感情で括ってしまった。
 ――しかし、自分に対する失望が議題から外れるのは早かった。それよりももっと大切なことにも私は気付く。そして生徒会室へと歩き出した。

 そう、私は、私自身が男だったとしても、彼を好きになっていたのだ。彼が女だとしてもきっと好きになっていた。性別などはどうでもいい、大切なのは本質だ。
 私は彼という人間が、個性が、心が、好きになった。それが主題だ。
 そう思いながら生徒会室に入る。暖気が私を歓迎するように包んで、心地よかった。その心地よさに私は思わず目を閉じた。

「どうしたの?」
「ひゃあっ!」

 目を開くとすぐそこに彼がいた。ほんの数十センチも離れていないだろう。あんまりな対面で、余裕がある表情も態度も取れるわけがない。
 私は屈辱的に赤面してあさっての方向を向いたのに、彼は特に何も言ってこない。鈍感過ぎるにも程がある。さっきまであんなに他の女子に愛想良くしていたくせに。
「いや、ごめんごめん」
 そう私が思ったからか、彼は素直に謝る。遅すぎる。私はつんと澄まして自分がいつも座っている場所へ赴いた。何てことない顔をしようと努力したが、まだ赤面しているみたいだ。頬が熱い。
 それを紛らわすために、私は訊く。
「ねえ先輩」
「ん? 何だい?」
 彼はいつも通り、人当たりのよい、憎めない笑顔を浮かべた。
「もし、私が、女じゃなくて男だったら」
 こういう風に、打ち解けてくれた? と私はなるたけ真剣さを感じさせないよう、何気ないことのように小首を傾げた。そうしながら、不安に怯える。
 私には打ち解ける――好きになる、絶対の自信があった。だけど、私は彼の想いを知ることは出来ない。出来なくなってしまった。それ程能力は衰えた。彼の想いが解らない。
 もし、私とは全く反対の言葉が出たらどうしよう。……途端に、思考の通路に陰が差した。そうだったら私は、勝手に作り上げた幻想に溺れただけの、なんて愚かな――

「そんなの、勿論そうに決まってるじゃないかあ」

 不安が、途端に弾けて消えた。性別なんて関係ないよ、と暖かな笑顔で私を眩しそうに見てくれる。私も、彼が眩しい。
 なのに、不安はしぶとかった。私は顔を伏せる。彼がその後、何をしているのかは知らない。
 彼がそう言っても、私が彼に対して抱く気持ちと同じようなものを、彼は抱かないだろう。私達は決して、同期しない。彼は人間なのだから。そう、愚かで移ろいやすくて、つまらないことに一喜一憂したり、平気で騙しや策略を巡らせ、悪びれる様子もなく、利己主義の塊である、けだもの過ぎるけだものだ。
 彼がそういう人間でないとどうして言い切れる? 私に向ける態度や動作が全て純粋なものであると何が証明できる? 誰か他に想っている人がいないとどうしてわかる? そもそも私なんてどうでもいい存在だと思っているかもしれないじゃないか。彼が私に、初めて会った日から今まで、あんな風に優しく接するのは、単に彼が偽善家だからかもしれないじゃないか。
 どうしてそんなこともわからない? なんで私は人間の姿でいるのだ。なんで私は彼に好意を抱いたのだ。昔は世界の全ての理を瞬時に理解出来たのに。
 それほどまで私は、落ちぶれたのか。私は、この「遊び」をする者の中で最高の位にいるというのに!

「でも」

 目の前がゆらゆら気持ち悪く揺れていく中で、彼の声がした。驚き直ちに顔を上げると窓辺の暖房機の傍、外の雪景色を横目に彼が立っていた。やはり眩しい。少しだけ気持ち悪さが収まった。
「でも女の子の方がいいな、君は。どっちかというと」
 微かな声しか出せなかった。意味もなさない音素はそれでも彼を少し微笑ませる。
「違う方が面白いじゃないか。何かとね。肉まんだってあんまんやカレーまんやピザまん、いろいろ種類があるじゃないか。それで、どっちが好きか口論になるだろう?
 それと同じ。性別が違うと、同じ物事でも大分違った見方をするんだよ。男性は理性的で、女性は感情的とか、よく言うでしょ。社会的なものや、精神的な問題も、生まれつきどっちでもないっていう場合もあるけど、大抵はどうしても二つにすっぱり分けられちゃうから、もう、どうしてこうなるんだーって、ほら、父親母親を比較とかするとよくそうなる、そういう経験あるだろう? そこには怒りやむかつきもあるだろうけど、面白いなあってことも、あるじゃないか」
 ほんの少し私に歩み寄る。気分の悪い私はただ座りっぱなしだが、程良い緊張が走った。それはどうしてか心地良い。私という精神に覚醒の合図が走ったように思えた。
 私は話をただ唯々諾々と聞きながら彼を見つめている。彼はそれに、と言ったきりその饒舌を急に緩めた。いや、今までの話題はむしろ前振りだったと言わんばかりに、言葉を選んでいる。そう見えた。

「ほらさ、その、君は可愛いからさ、女の子でいた方がいいんじゃないかな、なんて」

 全く予期しない言葉が、降ってきた。

「……な、なんてね! あはは! あ、変な意味じゃないから!
 変態的な、そんなのじゃないからね、断じて」

 彼はそう言いながら笑うけど、それにしては頬が赤いのは、錯覚だろうか? 幻だろうか? 夢だろうか? 真っ白な雪の世界にいる所為でとてもよくわかる。
 彼は気付いていないといい。私だけが気付いていればいい。
 私に投げかけられた言葉は、私の胸に真っ直ぐ落ちる。
 その音は、私の鼓動に変わる。

 恋に堕ちる音がした。

 それが本音だろうとお世辞だろうともう、構わなかった。




 私は認めよう。人間にまみれ過ぎたことを。力を失いつつあることを。
 だがそれ以上に誇り高く宣言しよう。
 私は彼に、ずっとずっと前から恋をしている。




 すっかり人間になり変わりつつある私に笑みが込み上げてきた。気持ちいい。こんな爽快さは、今まで得たことがない。
 だけど――私は、忘れていた。


 彼の存在に関する、大切なことを――。


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