私が彼を好いている、恋をしていると自覚してしばらくしてから、仲間の一人がこう叱責してきた。

「まったく、君は一体どういうつもりだ! 何を考えてこんな馬鹿なことを!
 人間を……人間を好きになるなんて!」

 彼は仲間内の中で私を最も丁重に扱い、尊敬する者だった。普段は温厚で人の意見に反しない、むしろ臆病なくらいに友好的にへつらうのに、こんな風に私に対して檄を飛ばす一面があるとは、さすがの私も予想外だった。
 だからといって、彼の翻した反旗に耳を貸す気はさらさらない。鬱陶しい。まるで周りをうろちょろ飛ぶ虫のように気が苛立つ。
 私は頬杖を突きながらさも興味がないように彼の言葉を聞き流していた。……実際、興味などさらさら無いのだが、彼はそんな私の様子に気付いてか気付かずか、しぶとく言い続け、やがてため息をついて肩を落とした。
「いいかい、もう何度も繰り返してるけど……君は人間なんかが手を触れられるような存在じゃない。本当なら、こんな遊びをすることすら恐れ多いんだ。君は――なのだから。
 そもそも、自分が次第に人間に近付いているということを、自覚しているのかい?」
 私はただ黙った。
 確かに、私は本来の力が衰えていくのを段々感じており、同時に、存在が段々人間に近づいていくのもわかっていた。だが、それが恋を選んだ私に対しての結果ならば、自分の意志があってしたことなのだし、自分以外の誰かに口出しされるいわれは、これっぽっちとして無い筈だった。
 そう、私の存在がどうこうより、こいつが神聖な恋に口出ししてくること自体が十分不敬に当たるのに、何もわかっていないみたいだ。普段はあんなに私に対して敬うことを皆に強制しているくせに。それも仲間達が持つこいつへの不満や怒りで自分を傷つけないように、さりげなく、狡猾に。自分こそ、どういうつもりなのかしら。
「君は僕らの頂点に立つ存在なんだよ、本当にわかっている? どうかしてるよ!
 もう少し、頂点に相応しくあってくれ、しっかりしてくれよ……」
 同情をそそるためか、彼はしゅんと項垂れた。これ見よがしな誘いに私は今以上に冷めていった。
「あんな人間の、どこがいいっていうんだ?」
 彼は項垂れながらぽつりと呟いた。そんな問いが飛んでくるとは思っておらず、私は片眉を少し上げたけれど、何も言わなかった。ただその質問だけに想いを巡らせた。
 どこがいい、か。目蓋の裏に彼の姿を映し出す。確かに、彼はほんの少し肥えていて、顔だってお世辞にもかっこいいや、綺麗という部類には入らない。だけどどんな話もうるさいくらい熱心にするし、生徒会の活動もまた同様で、生徒から教師から、老若男女問わず人気を得ていた。
 私は、その――目の前にいる彼が主張し、慈しみ、敬うような――性質の所為か、孤立しやすい性格である。そのくらいには、自分をわかっているつもりだし、こういう性格に育ってしまったのは仕方がない。
 それはともかくとして、彼はそんな私にも親しく接してくれた。笑顔を見せてくれた。私以外誰もいないこの生徒会室で、一緒にいてくれた。話をしてくれた。私が雪のように冷たい態度をとっても、春の陽だまりのように優しくあった。間違っている態度を取った時は、真剣に叱ってくれることもあった。
 それはつまり、一言で言うと、私を好いてくれたということにつきる。
 周りの仲間達――高砂達も、私を好いているとは自覚しているが、それは、恋ではない。ただ単純に私が、彼らより上位に位置する者だからだろう。目の前にいるこいつだって同じことだ。自分より上位にいるからこそ敬い、へりくだる。「私」だから、そうしているわけではない。

 あの人は、「私」を見てくれた。
 何の肩書も持たない、ただのプライドが高くて鼻もちならない、身体的魅力もない小さな女子であるだけの私に、あんなによくしてもらった。

 それが彼の偽善者な性質から来るものか、誰にでもそうあるだけなのか知らない。彼が私と同じような好意を私に抱いているかもわからない。はたまた、彼は誰か別の人を想っているかもしれない。それを思うと、足を一歩踏み出すのさえも躊躇するほど不安になる。

 だけど、それでも構わない。そんな無様な形の恋でも構わない。
 誰でもない自分を好いてくれた。何の見返りも期待しない好意が、愛が、そこにあった。
 それでいい。それだけでいい。
 私はあなたを、好きでいる。
 そう静かに、私は心に誓った。

「……僕にはあんな奴、人間っていうだけでも理解出来ないけどね」
 そんなことを思っていたのだが、私の心をちっとも解しようとしないこいつにいちいち教えるのは癪に障る。自分の恋を不潔に売りさばくようなものだ。ただ、これ以上何も言わないのも、少し考えものだった。
 私は大儀そうに頬杖をつくのを止め、きちんと姿勢を正していった。
「恋を知らないあなたなんかに、わかるわけがないわ」
 たちまち、彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてその場に硬直した。
 いい気味だった。私は内心鼻を鳴らし胸を張った。
 椅子から降り、私はあの人のもとでも行ってからかいながら一緒にどこかへ出掛けようかと思った。今日も天は飽きることなく雪を地上に降り積もらせている。
 こんな寒い日は、あの人と肉まんでも買って、暖かなショッピングセンターにでも籠って食べ合いながら、くだらない話を咲かせるのが一番いい。私はあいつの隣を軽い足取りで通った。

「……僕だって、恋をしているよ」

 そんな捨て台詞が聞こえたような気がした。だけどその時のそれは、空耳にしか過ぎなかった。


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