「ん……んんん」
 瞼を上げるのが辛い。それほど心地良い。私は暖かな生徒会室の事務専用机に突っ伏して、体を丸めて眠っていたのだが、どうもその幸せな時間は終わりみたいだ。どうしても私は覚醒してしまう。むっくりと、頭を起こした。髪の毛が顔に張り付いていて、顔は制服の皺がうつって跡になり、少し赤くなっていた。
「何の夢見てたんだろ……まあ、いい――」
 ふっと閉じた目蓋の裏に、とある情景が走る。

 真っ白い光に消えていく三輪先輩、賀茂先輩、高砂君。

「よくない!」
 私は勢いよく椅子から立ち上がった。その所為で机に立ててあった小さな置物が倒れてころころと転がっていく。状況にそぐわない暢気なそれを見ながらも、心は焦りで乱れていた。賀茂先輩の時や、三輪先輩の時と同じように、夢だとは思えなかった。
 いや、今までのことは夢じゃない。私の記憶はあまりにも生々しく、先輩は結局高砂君のこと、賀茂先輩のことを知っていた。どういう仕組みでこんなことが起こっているのかなんてちっともわからないけれど、起こっているのだからしょうがない。私はまるで神様の悪戯に振り回されている哀れな子羊だった。
 一応、PTAの名簿を確認してみた。高砂君、賀茂先輩は前回と同様見当たらない。そして今回、三輪先輩の名前は無くなっていた。これは私の思った通りだった。予想通りだったけど、どこかおかしいという念はある。
 どうして三人は消えているの? そう首を捻らせた時、誰かがこちらへ近づいてくる気配がした。どたどたと、荒々しい足音だった。寒いからか空気が澄んでいて音が良く通るのだろう、少し耳を澄ませば聞こえる。
 このパターンは前回と前々回にあった。おそらく、松尾さんが姿を現すはずだ。
 果たして、解答はドアを勢いよく引いて現れた。

 やはり、生徒会長の松尾さんだった。

「あれ? 葛城――」
「松尾さん」
 ひいっと細い声を上げて数歩仰け反った。その勢いのよい現れ方とは対照的だけど、常に小心者な松尾さんらしい。前回、前々回と同じようにありありと見てとれる動揺は、もしかしたら三輪先輩が消えたことに対してかもしれない。
 今、ここには私と松尾さんしかいない。松尾さんは葛城、つまり霞ちゃんがいるものと思っていたらしい。従って、前のような質問の順番を譲るといった展開にはならない。だけど私は、質問するべき人物を得ていた。勿論、松尾さんだ。
「松尾さん――何か知ってますよね」
「な、何かって」
 怯えながら彼はドアを閉めた。逃げだすのかと思ったが、話に応じる気はあるらしい。
「三輪先輩、どこに行ったかわかりませんか?」
「だ、誰だい、そ、その人?」
 知り合いかい? と白々しく訊くけれど、その様子を疑う余地もない。どうしようもなく隠し切れていなかった。演技が下手だなあ、学芸会とか苦労しただろうな、とこの場ではどうでもいいことを思う。
 それはとにかくこの弱腰の松尾さんから私は情報をぐいぐいと引き出さなくてはならない。この繰り返す世界を何とか抜け出す方法や、どうしてこんなことになっているのかを。そして私が、何をしなければいけないのかを。
「三輪朧先輩、髪の毛とか服装とか、たくさんオシャレして私や松尾さんをからかってた先輩!
 彼だけじゃありません、賀茂先輩は? 賀茂仲春先輩、副会長の! たくさん本を読んでて無口だったけど有能な先輩です!」
「ふ、副会長なんて……あ、安宅君とええと、熊坂君じゃないか、やだなあ」
「高砂君は? 高砂遊糸君! みんなの弟みたいに可愛がられてた会計の」
「会計はその……え、江口さんと……」
「その江口さんってどんな人なんですか?
 安宅さんも熊坂さんも、私、知りませんよ?」
「え、ええと……」
「知らないんですよ? 松尾さんが三人のことを知らないように。これは大問題ですよ!」
 見事に松尾さんは言い淀み、閉口する。今の状況を逆手にとって追い詰めた私は少し気分が良かった。だけど勝利に浸っている場合じゃない。まだ何も聞き出せていないから勝利も何もない。もう少し突き進めば、見えてくる。
「いい加減本当のことを言ったらどうなんですか」
 ねえ松尾さん! と詰め寄った時、ぴーぽ、ぴーぽ、と何かの音が鳴る。確か、ストーブの時間切れをお知らせする音のはずだ。
 私が行く前に松尾さんは逃げ道を見つけたと言わんばかりに僕が押すよ、と延長ボタンを押した。顔はへらへら笑っている。勢いづく私を暴れ馬にでも見たてて、大人しくさせるのに苦労している、とでも言わんばかりの表情だった。純粋にむかむかと怒りが込み上げてきたけれど、我慢しなくちゃ、まだ何も聞き出せていない。
「ねえ松尾さんってば!」
「まあ、お、落ち着きなよ、お茶でもいれるからさ」
 私に背を見せないように横歩きしていく様はどこか滑稽だった。本気で取り合ってくれないその侮られた態度に、ますます怒りが募る。
 賀茂先輩の時も確かそうだったけど、松尾さんの場合は何か知っているのがあからさまな点で怒りはその時の比ではなかった。
「そういえば、葛城がここにいると思ったんだけど、ど、どうしたのかなあ」
 確かにそういえば、である。賀茂先輩の時は来なかったけど、三輪先輩の時は松尾さんのピンチを救うように霞ちゃんが現れた。霞ちゃんも何か知っているようなそぶりを見せた。
 しかし、松尾さんがこうして霞ちゃんという別の話題を持ち出すことで私の矛先を上手くかわしたように思える。その隙に松尾さんはお茶を淹れていた。はめられた、と再び怒りがわく一方で、この場から逃げださないだけましか、と妥協する自分がいる。
「霞ちゃんに何の用事があったんです」
 松尾さんは下手な鼻歌を歌って私を無視しようとする。
「三輪先輩の時も、賀茂先輩の時も、先輩達に何かを話そうとしてここに来てましたよね」
 あれは、今考えると、高砂君、賀茂先輩が消えたことに関しての相談をしにきたのではないか。松尾さんは一体何のことだいとやはり弱弱しく言いながらテーブルにお茶を置いた。
 その時、何かがどさどさっと落下した音がした。私は、ストーブのお知らせ音の次にそうなるんじゃないかと思っていたからそんなにびっくりはしなかったけど、松尾さんには不意打ちだったらしく、思い切り体を震わせていた。カップをテーブルに置いていてよかったと思う。
 案の定、床には大量の資料が散乱してしまっていた。これで拾うのは四回目、さすがに疲れるなあと足を運ばせようとした。
「あ、あ、僕が拾うから!」
 座って座ってと松尾さんはソファを指さす。せっせと甲斐甲斐しく拾う姿はとても松尾さんに似つかわしかった。先輩であり生徒会長である松尾さんをあんまりそうやって舐め過ぎるのもどうかと思ったけれど、事実そうなんだから仕方がない。
 松尾さんはあんなだけど、こうしてお茶を用意して何か話が出来るようにしているのだから、賀茂先輩や三輪先輩よりも準備がいい、というか気が利いていると言ってもいいかもしれない。松尾さんはまだ拾い終わらないらしい。
 せっかくだから、今ここにいない霞ちゃんのことについてでも考えようかと、ソファに腰かける。今ここにいないといえば、桜ちゃんもだ。
(桜ちゃん……)
 心の中で名前を呼んで、私はあっと思わず声を零した。大事なことなのに、何で忘れていたのだろう。
 三輪先輩の残したヒントから考えて、浮かんでくる人物は、生徒会では桜ちゃんしかいない。そして桜ちゃんは、高砂君の時も、賀茂先輩の時も、三輪先輩の時も、姿を見せていなかった。
 いや、ここのところ桜ちゃんは生徒会の集まりに来なかった。その上私はどうやら、何の因縁か彼女に少し嫌われているようなので、彼女についてあんまり知ろうとはしなかった。その為彼女がどこへ行ったのか、行きそうな場所などとんと見当がつかない。
 せっかくのヒントなのに、彼女がここに来ないと、と思っていたら松尾さんはようやく私の向かいのソファに腰かけた。私と目を合わせないようにしている。
「あの、松尾さん」
「な、何だい? 言っておくけど、さっきから言ってる人のことなんか――」
「桜ちゃん、知りません?」
 松尾さんはぴたりと止まった。言い淀む口も、落ち着きなく組んだりほぐしたりしていた手も、全て。そして無言を貫き始めた。


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