三国駅



 時は二千年代のある冬、年明けムードもすっかり静まり早くも一月が終わろうとしていた。街はもう、バレンタイン一色になっている。
 高校三年生の柳井喜備にも、高校生というたった三年間の特別な時間の終わりが、もうそろそろ近づいている。二月が近ければ、三月も近い。三月を待たずとも、二月の学年末試験が終われば三年生は登校しなくてもいいのだ。進路が決まっている者は自動車学校に行ったりアルバイトをしたり、そうでないものはまだ遠い春に向けて勉強したりという、学校から離れた日々がしばし続く。そして再び学校に来たと思ったら、もう卒業式である。
「さあて、喜備の受験も終わったし、あとは合格発表と卒業式までだらだら過ごすしかやることないわね」
 喜備の前を歩いている二人の女子高生のうちの一人、蝶谷幹飛が言う。やや茶色をした髪をポニーテールにしてしっかり結んでいる。マフラーから見え隠れするうなじが寒そうだった。それだけではなく制服のスカートもわりと短めで、かつくるぶしたけのソックスだからますます寒そうな格好をしているが、本人はそう寒さを感じていないらしい。
「なーに言ってるの。大学行っても英語とかとはまだしばらくお付き合いすることになんのよ。勉強しなくちゃ」
 殊勝な発言をしたのはその隣を歩いている関屋美羽である。肩甲骨を越えるほどの長い黒髪と、女性にしては高い身長、少し地黒な肌で、関屋美羽を知る者ならばすぐわかる。柳井喜備はとぼとぼと、二人の後ろを歩いていた。
「えーっ、もーなんで美羽はそう人のやる気をなくさせる発言をするかなあ」
「事実なんだもの」
「やれやれねー……喜備? きいてる?」
 はっと喜備は顔をあげた。今までマフラーに顔を埋めて、ただぼんやり二人の話を聞いて、帰り道を歩いていたのだった。喜備は美羽や幹飛よりも格段に背が低く、髪は前髪をそろえたおかっぱで、顔も童顔なのでともすれば中学生に間違われるような女子高生だった。
「ごめん、ぼーっとしてた」
「あたし達が前歩いてたからいいけど、電柱とかに顔ぶつけるわよ」
 呆れた顔の幹飛が言う。
「まあ、受験終わったばっかりなんだし、しばらく放心させといてもいいわよ」
 三人の中で一番大人びた顔で美羽は言う。
「センターはばっちりだったし、三国大学なんてたかが私立だし、受かる受かる」
「幹飛、そう気楽に言わないでよ」
 喜備は苦笑いでそう言うが、前を行く二人をしばらく、何かまぶしいものを見つめる心地で見ていた。幹飛のポニーテールとマフラーのしっぽが揺れ、美羽の美しい黒髪も揺れた。
 二人は喜備の、大切な友達だ。美羽と幹飛が世間話を始めている。喜備も入れる内容だったが、喜備は歩きながら昔の――といっても、ほんの二、三年前のことを思い出す。また喜備は、マフラーに顔を埋める。
 三人が出会い、友達としての関係が始まった高校一年生の頃の思い出が喜備の頭に鮮やかに、でもところどころ切り取られて浮かび上がってきた。購買の、一個だけ残った桃ゼリーを三人が同時に求めたことがきっかけだったな、とか、文化祭や、体育祭のことや修学旅行のことや、高校三年間一緒のクラスでびっくりだな、とか、ああでも、美羽と幹飛は幼稚園の頃からの幼馴染だからもうずっと長くいるんだなと、それに気がつくと再び喜備は前に並ぶ二人を見つめた。
「……喜備? どうかした?」
 美羽が振り返って訊いたので、喜備はなんでもないと首を振る。
 ふうと、気付かれないように息をついた。白く光って、息は空気中に溶けてゆく。
 そうだ。美羽と幹飛はずっと一緒にいる。友達以上の強い絆で結ばれている。その絆にのこのこ寄ってきて、もたれかかったのは自分じゃないかと、喜備はふと思ったのだ。
 そんな喜備と暖かく三年間、接してくれた美羽と幹飛はそれぞれが喜備を越えて優れていた。美羽は容姿端麗、成績優秀で更にスポーツ万能で、特に部活に入ったり生徒会に入ったりはしていなかったが、いつもどこかで光っていたし、クラスの中でも学校の中でも人気が高かった。幹飛は、成績は喜備と同じくらいで中の中だし、教師によく食って掛かり、遅刻は多くいろいろ問題もあったが、陸上部に精を出す姿はやはり格好良く、よく後輩達の面倒も見ていたし、たくさん賞も取っていた。
そんな二人の友達だった喜備は特に優れているところも無く、また劣っているところもない、凡庸な人物だった。二人が眩しく見えるのは、その所為だろう。
(二人が推薦で三国大に合格できたのは当たり前だね)
 微笑みながらそう喜備は思う。幹飛は遅刻の問題もあり実際ギリギリ合格というラインでもあったのだが、美羽は法学部、幹飛は教育学部に推薦合格し、そして喜備が社会福祉学部を受験したのは、つい最近のことである。喜備は美羽と幹飛に勉強を見てもらい、二人からのエールを受けて受験に臨んだ。 つい最近の――一週間も経っていないようなことだが、喜備は思い出す。
 二人がいなかったらどうなっていただろう。受験も、高校生活も。
 もちろん、喜備は二人のほかにも友達や後輩はいるが、「いなかったら」と仮定までして大切さを感じる友達は、この二人以外いないのだった。
 二人がいなかったら。
 二人に出逢えなかったら。
「きーびっ。本当にぶつかるわよー」
「ひゃあ!」
 幹飛に軽く頭を掴まれて喜備のその取りとめもない思考は一時中断する。もう、やめてよねえと幹飛を軽く小突こうとするが身長差があるためうまくいかない。幹飛は小気味よく笑っている。美羽は保護者のような目で二人を見守っている。
「じゃ、明日ね」
 美羽がそう言って初めて喜備は、幹飛とじゃれあっていた所が、喜備と美羽、幹飛が分かれる場所だと気付く。美羽と幹飛は高校の近所に住んでいるが、喜備は電車に乗って帰らなければならない程度に、学校から家が離れている。
「うん、あした、ね」
 バイバーイと二人は大きく手を振って帰って行く。喜備は弱弱しく振るばかりだ。
 二人が談笑して歩いている様子がしばらく見える。そして二人は右に曲がる。すると喜備の視界から二人は忽然といなくなってしまった。喜備の世界には今、喜備だけしかいない。
 喜備も回れ右をして帰り道をたどる。三国駅まで、そんなにはかからない。

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