恋のぼり日和


 しまった。俺は目を点にしながら現在の状況をそう評価した。そう評価する以外なかった。
「そっか……亮君のお家って……すごくお金持ち、だもんね……」
 俺と向き合っていたはずの喜備の表情から血の気が薄れ、口調も聞くからに弱弱しくなっていき、まるで太陽が沈んだように深く俯いて何も言葉を発しなくなって俺は初めてしまったと、そう思った。何なんだ俺は。自分で天才児ってわかっているはずなのにこの体たらくは。
 人には一時の感情やテンションのなりゆきでついうっかりしてしまうことがある。俺は自分の不甲斐なく心にもなかったその行動にそう解説しなければならない。俺の左手に握られた小さな小さな、フェルトで出来た鯉のぼりに気まずい視線を送った。
 もうすぐ子供の日だからと、喜備が作ってくれたのだ。
 俺は子供のくせに並みの子供以上に知能が発達したため、不必要に子供扱いされるのが大嫌いだったが、喜備は特別だった。俺は子供、ないしは彼女より十近く年下という特権をこれでもかと利用して彼女に甘えることが出来るからだ。それはつまり、俺が喜備のことを、恋愛的な意味かどうかはともかくとして、好いているからなのだが――それはいいとして、その手作り鯉のぼりで何があったか。


「うおー! すげえ、可愛い! 手作り感あふれる!」
「手作りだもん。よかった、亮君思ってた以上に喜んでくれて」
「当たり前だって、だって喜備の作ってくれたものなんだぜ! 喜ばないわけがないって! 家のみんなに自慢する! じーちゃんにも父さんにも母さんにも姉ちゃんにも兄ちゃんにも自慢する! 家宝にする!」


 と、この会話の俺の興奮ぶりを参照するまでもなく、俺は本気で喜んでいた。さて、俺はどんな時でも、そう、こういう時でさえも心や口を無防備にすることはない。だが、俺は自分で思う以上に喜備のことが好き過ぎた。彼女をびっくりさせたり、喜ばせたかったのだろう。それが、今立たされている、二人の断絶に繋がるとわからずに。


「そんなに喜んでくれるなんて……そこまでいいものじゃないんだけど」
「喜備が作ってくれたんだ! 関係ねーよそんなの」
「えへへ……実はね、美羽や幹飛の家の方から、いつもこの時期になるとすっごい大きい鯉のぼりが見えるんだ。私、一人っ子だから、その鯉のぼり、ちょっと羨ましくって。それをイメージして」
「ああ、それ? それ、俺んちの鯉のぼり!」


 ――テストに出るから赤線でも引っ張りたいくらいだ。いや、恥ずかしすぎるし不甲斐なさすぎるし、これは俺の心の黒歴史ノートにひっそり書いておくのがいいんだろう。第一そんなテストお断りだ。俺の言葉は決定的な地雷だった。
 つまり、裕福で、自分で言うのもアレだがまあまあセレブな俺と一般庶民である喜備との間に見えないベルリンの壁が瞬時にして建ったわけである。そしてそれを建てたのはほかでもない俺。まあそれを認めたのは喜備だから喜備にも責任がないとは言えないが、デートの時に男が金を払うのが暗黙のお約束みたいなのと同様に、喜備を責めてはいけない。
 そして冒頭に戻る。しまった。
 喜備は顔を上げそうにない。俺は沈黙している場合ではない。

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