南総里見八犬伝とは


『南総里見八犬伝』とは、
江戸時代後期の読本作家・曲亭馬琴による、1814年(文化11年)から
1842年(天保13年)の28年間に渡って著された、
日本古典文学史上最長最大の(本当はもっと長い作品あるんですけど、有名なものでは一番)
長編伝奇物語です。江戸時代後期読本の代表作でもあります。
自分の専門は日本文学、と言っても漱石や鏡花などの近代文学の方(明治より)なので、
実は近世文学は八犬伝以外はさっぱりだったりするわけでして、
近世文学において学会等でどれほどの位置にあるのかは、ちょっとわからないのですが。
西の古典文学の横綱が源氏物語だとすれば、八犬伝は東の古典文学の横綱だと言えます。

よく「滝沢馬琴」と作者名が表されますが、これは誤りです。
いわゆるペンネームは「曲亭馬琴」であり、「滝沢」は本名。
本名とPNが混じるというのはおかしいことです。
(落語家で言うと桂米朝が中川米朝に、林家正蔵が海老名正蔵になったりするようなものです)

全180回・全98巻・全106冊もの大長編で、岩波文庫では全10冊。
やはり古典文学最長だけあって読み切るにはそこそこ難儀するのではと思います。
児童向けの本を始めとして、ダイジェストや抄訳本も出されていますが、
完璧に訳されたものはそんなにない古典文学作品です。
一方で、映画や漫画、小説、舞台など、幅広く二次作品が世に出されていたりします。
その為、原作と二次作品をごっちゃにしていたり、二次作品の方が八犬伝の正規ストーリーだと勘違いしていることが、ままあったりします。私にもそういうところがあります。
そもそも馬琴さまの原典の方を知らない、と言う方も中にはおられるかもしれません。
名前は知られていても、読まれざる名作と言えるかもしれません。
実際長いので、忘れてるエピソードが多々あります。私の場合。


馬琴48歳からの執筆でしたが、1833年(天保4年)67歳の頃から右目を失明し、
1841年(天保12年)75歳には両目とも完全に失明してしまいます。

ではそれからの八犬伝を誰が書いたのか、は、わりと有名な話ですが、
息子のお嫁さんであるお路さんです。
馬琴さまが文章を口述し、それをお路さんが書きました。
お路さんは、全然文字が書けなかった人、と言うわけではないですが、
それでも突然、こんな難しい文章を書けと言われて、すぐ出来る所業ではありません。
お路さんの努力も勿論のことながら、完結を諦めなかった馬琴さまとお路さんによって、
この一大伝奇物語は日本文学史上に名前を残すことが出来、
現代に至るまで私達を魅了してやまない古典名作となったのです。


ではそんな八犬伝はどのような物語か、かいつまんでと言うと。
(私が書いたものですので、やや偏った解説になるかもしれません)

物語の時代は室町時代末期にして戦国時代黎明期。
腐敗した安房の国を救った若き君主・里見義実は、政道を誤らせ国を傾けた美女・玉梓を、一度助けると言いながらも、義実を頼った元安房の国の忠臣・金碗八郎孝吉の諌めを聞き、首を刎ねることにします。約束を反故にされた玉梓は激怒し、「殺さば殺せ。児孫まで、畜生道に導きて、この世からなる煩悩の、犬となさん!」と呪いの言葉を放ち死んでいきます。
時が経ち、隣国の安西家との絶体絶命の戦いの折、義実は飼い犬の八房に「大将の首を取ってきたら伏姫を嫁にやろう」と言ってしまいます。八房は約束通り安西景連の首を取り伏姫を貰おうとし、伏姫は言葉通り約束を守ります。
一人と一匹は富山と言う山に入り、読経に明け暮れる穏やかな日々を過ごしますが、ある日役行者の遣いであろう神童から、伏姫は八房の子を孕んでいると懐妊を告げられます。犬の子を宿したと己を恥じた伏姫は八房と共に自殺を謀りますが、八房を殺し伏姫を救い出そうとしていた金碗八郎の息子・金碗大輔の銃弾を誤って受け、一度死んでしまいます。伏姫の様子を見に富山を訪れた義実と大輔のもとで息を吹き返す伏姫でしたが、「犬の子など孕んでいない」と証明する為に自ら腹を裂きます。その傷口から昇っていく白気と、役行者から授けられた、仁義礼智忠信孝悌、仁義八行の八字が浮かんだ数珠の大玉八つが空に浮かび、この世に放たれます。この後、大輔は出家しゝ大法師を名乗りその八つの珠の行方を探し求めんとして旅に出ます。

その八つの珠を持つ、犬の名を冠し、仁義八行を名に宿す八人の青年が離散集合し、東日本(時々西日本)の各地でそれぞれが織りなす冒険と悲劇が詰まった群像劇と、関東管領率いる連合軍との戦いとその勝利、結婚から遁世に至るまでを描いた物語が、『南総里見八犬伝』です。

以上が、ざっとしたあらすじです。
長く書きましたが、八犬伝と言うと、「その八つの珠を持つ〜」からが基本メインです。
じゃあ、なんでそんな発端の方を長ったらしく書くのかと言うと、まあ自分のスタンスとして、何事も発端が大事だなと思うからで、
特に連作短編「八匹の犬より愛をこめて」ではこの発端に大きく筆を割いています。


あらすじでは八犬伝の本当の事は掴めるはずがありませんので、
是非何か機会を作って、八犬伝を抄訳なり漫画なり、
何でもいいのでストーリーに触れてみていただければ、
一ファンとしてこれ以上に幸せなことはありません。

私の連作にしたって、一個人の古典の翻案に過ぎません。
というか私個人としては、どうか原典の方を読んで頂きたいのです。

私の連作では玉梓が主人公の一人として結構筆が割かれ、他の話にも登場したりしますが、
玉梓の台詞なんか第6回の処刑の場においてしか表れないし、姿だって、第13回の挿絵を最後に登場しません。
多くの二次作品でおどろおどろしく描かれる「玉梓が怨霊」や「玉梓の呪い」と言ったものは
遅くとも第13回にはとっくに解かれているものだったりするのです。
(目立った登場としては、第九輯以降、仁の犬士・犬江親兵衛と敵対する妙椿が玉梓の怨霊の名残として登場するくらいです)

伏姫と玉梓が会話するなんてことは全くありませんし、玉梓が他の犬士達に会ったりすることもありません。
翻案なんて綺麗な言い方をしましたが、要するに私の作品は、言い方は悪いですがねつ造です。
自分としては八犬伝の本当のストーリーに触れて頂きたいのです。が、創作者のサガとして、自分の物語に素直にならなくてはいけません。
正直かなりの葛藤があります。
出来るところは最大限に、出来るだけ原典に忠実にしたつもりですが、
私の作品はあくまでも「おきあたまき版」と言うもの、としてとらえてくださいませ。
これは小説だけでなく、ファンページのネタ作品やイラスト、原典めもの解釈にも言えることです。

是非、そのことを念頭に置いて、連作や小ネタ等をお楽しみくださいませ。
連作短編とファンページが、訪れた方の八犬伝興味をお手伝い出来たり、
膨らませていくことが出来れば、八犬伝ファン冥利に尽きると言うものであります。


2013.06.21 おきあたまき

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