○わたしと八犬伝○

おきあたまきの八犬伝ルーツや、八犬伝創作における課題などをだらだら書いてます。
2012/10/08 初出
2013/06/07 一部加筆(追記)しました


○であい○
最初に「八犬伝」というものを目にしたのは、小学生の頃愛読していた少年マンガ雑誌・少年ガンガンで連載されていた、よしむらなつきの「里見☆八犬伝」でした。
その時はまだ全然文学少女でも何でもなく、むしろ文学とは程遠い、マンガやゲームの方が楽しい、いたって普通の小学生でしたので、日本古典文学である馬琴さまの最大著書・南総里見八犬伝のことは何一つ知りませんでした。
(蛇足・小さい頃になんら文学的素養がなかったことが私の最大のコンプレックスのひとつ。でも、学校で一番好きな場所は図書室で、近所の図書館にもよく行った。図書室は今でも夢の中でよく出てくる。本は乱読と言いますかいろいろ読んでた覚えが。これといって覚えてないけど……)

里見★八犬伝 4 (ガンガンコミックス)里見★八犬伝 4 (ガンガンコミックス)
(2000/08)
よしむら なつき

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なので当然、原作のことを知らずに読んでいました。八犬伝をもとにしたファンタジーギャグマンガなので知らなくてもいいっちゃいいのですが。(最近ぱらぱら読みなおしてみたら、原作知ってる人だったらにやりとしてしまうような展開とかあって面白かった)
女だと主張しているのに男と見られてしまう信乃(普通に美少女。胸も大きい)
やたらと変態な荘助(この荘助のキャラは今でも好き)
神出鬼没で改造人間ちっくな道節(この道節のイメージは今でも私の根底にある)
船虫ひとすじなオバカキャラ現八(この現八像も私の根底にあるかも。十手は間違いなくこの現八から)
純情青年な小文吾(これも今のイメージの根底に…ってみんなそーかも)
病弱な大角(大角さんも略。この作品では雛衣も健在で夫婦仲いいから嬉しい)
そして、どーみても女にしか見えないのに男であるという毛野。
おそらくこの毛野ちゃんの衝撃がなければ、私は「八犬伝」という作品を覚えていなかったかも知れない……それくらい、齢十を過ぎたばかりのか弱いおなごでしかない私には衝撃的過ぎたのです。……今思えば、人生初のいわゆる「男の娘」であったような気がするぞ……。そうか、この衝撃が私に中性キャラ・カマキャラ・女装男子萌えを植え付けてしまったのか…(深く頷く)

どちらかといえば男性キャラより女性キャラの方が好きで、オタクになったきっかけも(腐)女子向けアニメというよりは天地無用!のようなハーレムアニメ、サクラ大戦をはじめとするギャルゲーがきっかけだったので(でもヴァイスクロイツも好きだった←年がばれそう)
嗜好は腐女子というよりはどちらかと言えば男性の方に近いんじゃないかな、というそんな女子だったので、とにかく毛野ちゃんには衝撃だったのであります。あ、この衝撃はきっと小文吾に通じるな。小文吾、私も同類だべ。
よしむらなつき版毛野はキャラクターデザインもすごく好みだったので、多分今読んだらけのしのに萌えてそうです。
でも原作を最後まで追うこともいつのまにか出来なくなってしまい、それに従って「八犬伝」は私の記憶のロッカーに長い間しまわれてしまいました。

そのロッカーが開けられるのはそれからおよそ七年後のことです。



○せかんどいんぱくと○
さて第二の出会いは高校二年生のこと。
中学生の頃に文学を志すようになり、いつか入りたい大学も志望学部はもちろん文学部。この頃になるとすっかり受験生モードに入っておりまして、でも当時の日記を読み返すと、アニメや読書、マンガにゲーム、それから勉強、学校生活……と、非常に輝かしい生活を、時に笑い時に落ち込みながらも精一杯送っていた、ごく普通の女子高生だったようです。ああ、こんな風に回想するようになるとは、実に年とったなぁ…。。。

閑話休題(あだしごとはさておきつ)。受験勉強にもなるから、というよりもやはり自分が好きだから、ということで古典文学の抄訳や解説本などを読みかじるのが当時のプチブームで、特に伊勢物語や源氏物語がお気に入りだった。平安ですね、江戸とは遠すぎるのでは。
特に、講談社から出ている全25巻の少年少女古典文学館、源氏物語上・下が素晴らしかった。何せあの瀬戸内寂聴氏のわかりやすくかつみやびやかな文章に、FFシリーズでお馴染み天野喜孝氏の幻想的で美麗な挿し絵。すっかりこのシリーズがお気に入りになり、他のも読んでみようと言うことになったのである。
そして私が手にしたのが、このシリーズの栗本薫「里見八犬伝」だった。

里見八犬伝 (21世紀版少年少女古典文学館)里見八犬伝 (21世紀版少年少女古典文学館)
(2010/03/18)
栗本 薫

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↑のは新装版でして。
読んだのはこっち↓



先日読了記念ということで古本で手に入れたのだが……
どうですかこのインパクト大な表紙。八房がこんなラブリーなぬいぐるみなら、私別に結婚してもいいですよ。なんてのは冗談でどうでもいいとして、よしむらなつきの八犬伝しかろくに知らない私は、ここで初めて原作八犬伝の世界と対面することになるのである。

あれ? 信乃が主人公なのになんで「仁」じゃないの? えっていうかなんかスプラッタッタ過ぎませんか?
お、ちょこら道節てめぇ浜路見殺しにすんなま埋めちまうぞコノヤローー!!
てかちょっとー! こんなの絶対おかしいよ! 房八とぬいこんなのってないよー!
ってあれ、まだ続くのにこの本はここで終わりなの?
えっ!? なになに? はい!? 八犬伝てそんなに長い話なのー!?!?!?



阿鼻叫喚、とはまさしくこのことであろう。文章で表しきることが出来ない程に、私の受けた衝撃はすごかった。10才の頃の毛野ちゃんの衝撃をきっと軽く上回っているであろう。
八犬伝は秋に読んでいたイメージがあるのだが、当時の日記によると私はどうやら17歳の秋ではなく冬に(それこそ本格的に受験生になるちょっと前。新選組ブームが落ち着いた頃)この書を手にしていたらしい。祖母の家のこたつに入りながら道節VS荘助のシーンを読んでいた日曜日を覚えている。正確な日取りは覚えていない。……ていうか日記がテンション高いだけの自分語りに過ぎなくて全く役に立たないw 開くだけでMPがごりごり削られていく。若いって痛い。何読んでるかとか書いておきなさいよー!

(2013/06/07追記)
プリパレについて自分で語っているファイルを開いてみたら、やはり高校二年生の秋頃に栗本薫の八犬伝を読み終わっていたことが発覚。
当時の日記にも残してあると言う。日付は10/31。参照して見た。
「八犬伝読み終わり。大八の仁の玉が出たところまでで後はダイジェスト」 ほんとだ!あまりの若さに目も当てられず、見逃していた!
「八犬伝はクソ長いらしいので先に竜馬がゆくを読みます」 っておい!(実際一ヶ月ほどかけて「竜馬がゆく」を読んだ)

でも拙作「プリンセスパレス」はおそらくこの栗本薫の八犬伝が触媒となって生まれたのは確かである。こういうモチーフ(十二星座)で何かやりたいんだけど決め手に欠けるな〜ああ、こりゃタイトル考えただけで、あとぼんにゃりネタがあるだけで結局はお蔵入りだね企画倒れだね、と思ってたところに転がり込んできた八犬伝。
これや! と思いキャラが出来たり話の雛形が出来たり。高校二年の授業中にイラストなんか描いてた記憶ははっきりしてるので(だから授業中に落書きはやめろ)確実なのであるが、サードインパクトにして大きく影響を与えた(今でも私の八犬伝観の根底にある)碧也ぴんく先生の「八犬伝」にはまだ到達していなかったはずである。

(2013/06/07追記)
「八犬伝を読む前からプリパレの構想はあった」と先述しているが、八犬伝にちゃんと触れていなかったにも関わらず「十二星座の記号の痣が体のどこかにある」という設定があった。もう一つの元ネタであるファイナルファンタジータクティクスにはなかったのに。
それだけ「体のどこかに痣がある」と言う八犬伝の基本モチーフが、八犬伝にルーツがあるとは知らずに、「ファンタジー作品の設定の類型」としてわたし達に浸透していたことを表しているのではないだろうか。



○さーどいんぱくと○
いなかったはずであるのだよ。八犬伝の大体のストーリーを知ったのは栗本版だとはっきりしているし、栗本版が17歳の冬に読んでいたとあれば、秋に読んでいた記憶の碧也版八犬伝は必然的に18歳以降ということになるのだし。プリパレの、八犬伝に拠を求めない部分のおおよそのストーリーは18歳秋には原型が出来ていたけど、八犬伝由来のところはぼんやりしていたし。つまり、18歳秋まで私は八犬伝のもっと大きな概要を知らずにいたのだ。

八犬伝 1 (ホーム社漫画文庫)八犬伝 1 (ホーム社漫画文庫)
(2004/11/18)
碧也 ぴんく

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……ぼそぼそ語るマクラはこの辺にして。
(2012.10.28追記) 若さ故に痛くて眩し過ぎる自分の日記(高校二年1月〜三年12月)をそれでも何とか読み返してみると、ぴんく先生の八犬伝を買って読み始めたのがどうも8月7日らしく、8巻全部揃え読み終わったのが9月11日のよう。秋に読んでいた記憶はおそらく最終巻を読んだ記憶、そして繰り返し読んでいた記憶であろうと思われる。となるとプリパレのストーリーが整っていったのはこれ以降か…? 八犬伝典拠以外は多分既に出来てたと思うし。自分の創作に対しても記憶があいまいで不甲斐ないことこの上ない。

(2012.06.07追記) いくつか先の項目に追記したので重複することになるが、やはり17の秋に私は八犬伝の基本ストーリーに触れていた。ただ図書館で借りたものを秋に何度も読んでいたわけでなく、追記にあるようにすぐに他の読書に移ったので、「秋に何度も読んでいた八犬伝」とは、やはり18歳の時の、ぴんく先生の八犬伝の記憶であると思う。


閑話休題。本題へ。
さてサードインパクトである碧也ぴんく先生の「八犬伝」は私が八犬伝初心者の方に、抄訳をさしおいてまずお勧めしてしまうほどの逸書である。少女マンガ的作画に苦手感を持つ方には申し訳ないが、先生の努力による八犬伝解釈と八犬士それぞれの心理描写は卓抜で、おそらく過去ここまで犬士の人間性を掘り下げて書/描いた方は他におられまいと思う。
私の八犬士観もだいぶ彼女のものに影響されており、特に毛野と信乃は顕著であると明言してしまおう。読了した今、もう一度頭から読んでみたいのだが時間と余裕がなくて出来ていない。無念。
私はこのマンガでようやく八犬伝の行徳・古那屋以降のもっと大きな八犬伝像をとらえることが出来た。
対牛楼における毛野の艶やかにして凄惨なる姿、大角と雛衣夫妻の悲愴、親兵衛の活躍……
そして一番大きい影響は、今考えてみると管領戦クライマックスにおける伏姫と玉梓の描写であろう。私の玉梓・伏姫観ですらこのマンガを下敷きにしているところがある。私の知る限りでは玉梓を救ってくれた八犬伝作品はこの碧也版以外にない(他にもあったらぜひ教えてください)(追記:THE 八犬伝の玉梓は否定的に描かれていたわけでは無かったので、すごくよかった 2012.10)
げにげに、漫画という表現・メディアは素晴らしい。
更にその翌年の2006年は八犬伝イヤーと言える戌年であり、記憶に新しいのでご存じの方も多いと思われるが、滝沢秀明主演による新春スペシャルドラマ・里見八犬伝(TBS系)が放送されることもあって、創作「プリンセスパレス」の構想&制作活動と共に八犬伝熱はますます上がっていったのである。
こうして、私の趣味の一つとして「八犬伝」は確固たる地位を築いたのでした。……あとこれは余談だけど、戌年ということで石川県立音楽堂で創作能の「八犬伝」をやってたのですが、これ見に行きたかった……ああ、なぜ受験生だったのわたし。受験の所為でaikoのLLR3も行けなかったよ!(八犬伝関係ない)



○それから○
ところで完全に年がバレる文脈になっている。まあいいとして、晴れて母校の文学部に合格した私は2006年の秋から冬にかけてやっと岩波文庫・南総里見八犬伝を手に取るのである。国文学専攻のくせに古文が苦手で、もともとの遅読が更に輪をかけることになって、原文を読むのは本当に苦労したが(あ、専門は日本近代文学で泉鏡花です。正直、鏡花は八犬伝よりも読みにくい)普段の読書の合間に八犬伝を読むターンを設けることにより、ちょっとずつでも確実に読書を進めてきた。
次第に馬琴さまの文体やリズムにも慣れてきたし、ゆーかさん、いわしさんをはじめとする八犬伝の知己の方々との交流によって八犬伝がとても楽しく読めるようになった。岩波後半5巻分を、前半に費やした四年の半分の二年で読めたのも皆様のお陰だと思っている。この場をもちまして今一度お礼申し上げます。



○そして現在○
今は強くてニューゲームだ! とばかりに原作の二周目に入っています。
といっても読みは相変わらず遅いので第三回読了のところでしおりを挟んでいますが、ずっとずっとこの八犬伝読書は続けていきたいと思っている。ある種のライフワークですね。aikoは人生、八犬伝も人生。
そして12年10月現在、長年読みたかった高田衛先生の「八犬伝の世界」を読み進めているところです。大変興味深い内容に創作熱が刺激されてしまって困ってしまってわんわんわわんだわ。そう! この八犬伝熱はおそらく過去最高であり日常生活に支障をきたす程になっている……と書いても過言ではない。書きたい小説や同人誌の為の原稿が全く進まないのですけどどうなってるの(それはただの当てつけで言い訳)
今まで手をつけてこなかったTHE 八犬伝もようやく見ています。他にあんまり読んでない八犬伝ものは、抄訳などもあわせてまだまだありますし! 今いちばんの期待は「サトミちゃんちの8男子」と桜庭一樹「伏」のコミカライズ版の続きです♪


○おきあたまきの課題・玉梓○
それと、私なりに、八犬伝の課題がある。
やはりずーっと心に引っかかっているのは多くの八犬伝もので怨霊や悪霊と描かれてばかりの“玉梓”だ。
私が女性であることも大きいだろうけど、そんなに玉梓が悪者なんだろうか? 絶対の悪もなければ、絶対の善もない。多くの創作でと書いたが、それらの世界で玉梓一人だけに罪を負わせたり、絶対悪として扱うのは、あまりに恣意的な読みではないだろうか?
玉梓はどこかで――上から目線な言い方ではあるが――小さくても救われる必要があるのではないか?
私が感銘を受けた、碧也版八犬伝のように。
そんな想いで著したのが私の玉梓と伏姫、八犬伝という物語の発端を私なりに解釈した「最後の希望の物語」だ。(一応ここのページでバカやってる八犬士たちの世界(おきあたまき八犬伝世界)の発端という設定になっているので、一読いただけるとありがたいです)
八房≒玉梓ならば、玉梓も伏姫と同じで八犬士の母なのではないだろうか? 「伏姫屋敷」さんの考察では毛野や道節は玉梓寄りの属性を持つことを指摘しているし、八犬士が大なり小なりそれぞれ持つ魔性は玉梓によるものだと言う考察も可能である。つまり玉梓もやはり八犬士の母なのだと言える。
では玉梓の子でもある八犬士達は何故あらゆる困難と戦うのか。
それは……か弱き女の身で戦えず、言葉の咎によって処刑されてしまった、玉梓に代わってではないだろうか。
……なんて言う、とてもここには書き切れない想いをとりあえず! とまとめた。
13/06/16追記 その「とりあえず!」版は現在掲載されている最後の〜とは大分違うので、「改訂前」としてたまくしげ小説ページ習作小説カテゴリの中に残してあります。こちら。こっちの方が勢いで書いた感じがすごくあります。

玉梓、というキャラクターが、私と言う物書きにとってものすごく語りたい、書きたい対象であったために、気が急いてとにかく玉梓の話が書きたい! と書いた感じなので色々と齟齬があるし、ノベルというよりはポエティックに走っているきらいはあるのだけども、私はこれを書けてようやく胸のつかえが取れた感じがいたした。(拙作「プリンセスパレス」の玉梓に対しても一つの救済を試みているけど、それは私の中ではプリパレの玉梓であって、八犬伝の玉梓ではないのだし)
現代版八犬伝でも玉梓と伏姫、そして八犬士たちを書きたい。最近はこの作品の構想ばかり熱が入ってしまいます。

玉梓が最も語りたい対象であるが故にほかの八犬伝サイトさんよりも玉梓と伏姫が出張ってくる可能性が高いのですが(なんかもう半ばオリジナルキャラですね)そのへんはなにとぞ御了承願いたいです。



以上、「わたしと八犬伝」でした。
無駄に長いうえにただの自分語りに過ぎないものですが、
ここまで読んでいただき、まことにありがとうございました*

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