でもわたしを乗せた舟は わたしだけ乗せて滑りだした
これから始まる旅の孤独を 孤独とさえまだわからずに




 まるで何か大きな力が働いて引き離されていくように思えた。
 オレが伸ばした手は、届かない。
 舟が流されていく川の流れ。それは、三途の川よりもきっともっともっと荒ぶるうねり。
 運命にも似た何か。
 どんなに、どんなに手を伸ばしても、望んでも、越えることが出来ない。
 オレのこの手は、届かないのか。
 その光に触れることは、出来ないのか?
 許されて、いないのか?


 二人の仇を討つこと。
 それがたった一人残されたオレの生きる全てだった。
 母上がオレに託したこの事実。きっと、この先独りになってしまうオレを生かす為の理由。
 男として。武士として。
 オレは、女として育っても、女ではないのだから。

 憤怒に滾った。憎しみにその血を湧かせた。
 それらは固まることを知らず烈火の如く、あるいはどろどろと膿の如く、オレの思考のあちこちから吹き出してきた。
 二人の仇の姿を、まだオレはよく知らなかった。
 だから憎む対象は、この身の不幸全てだった。

 父上を陥れたこと、異母兄達を殺したこと、
 母上が苦しめられたこと、つまり、オレ自身が殺されそうだったこと。
 武士の子であるはずなのに、下賤な商売に身を窶さなければいけなかったこと。
 男なのに、女として育たなければならなかったこと。

 オレがずっと感じてきた理不尽。初めて知った不条理。勧懲の正しくない、おかしな世界。
 長い間母上を苦しめていた、全ての元凶。

 全部、全部、全部、その二人が悪い。

 オレは憎んだ。怒った。恨んだ。呪った。
 たった一人になってしまったオレは、そうやって生きてきた。

 まるで、恨みを背負って死んで、讐を祟り続ける怨霊のように。

 この世全ての憎しみと繋がるくらいに深く深く、そう思い続けた。
 そんな鬱蒼として息苦しくて気が狂いそうな闇の世界に、自分から飛び込んでいった。


 それでもオレは多分、光をどこかで求めていた。
 その光が、あいつだったのかもしれない。


 手は、届かない。
 遠ざかっていく。
 オレの光が。


 オレはその時。
 その時初めて、寂しさを感じたような気がした。
 母上が亡くなった時も感じたはずのそれ。だけど、全然違う何か。
 初めて、孤独を感じた。
 初めて、独りになったと感じた。
 ちょっと話しただけ。ちょっと自分の素姓や来歴を語っただけ。
 それでも、すごくすごく惹かれていたあいつと離れる。離れてしまう。
 離れてしまった。


 でも。
 オレは手を伸ばす。
 伸ばし続ける。
 闇が光に手を伸ばしたところでと嘲笑うか? 光にはなれまいと悲しく笑うか?
 いいさ、そこで笑ってろ。

 この胸に燃えている、あいつへの想い。
 その火をオレは燃やし続ける。
 オレは、だから、生き続ける。
 必ず、仇討を成し遂げて見せる。


 オレは絶対に。


 絶対に、諦めない。


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引用
「岸を離れる日」 谷山浩子『カイの迷宮』収録

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